2007.05/31(Thu)

教えられ上手 

教えるのにも教え方と言うのがある。

教師だった頃、一番悩んだのは「教え方」だったなぁ。
「教授法」を大学院で修了した今もそれは課題。

不思議なもので「うまく教えよう」と思ってもうまく行かない事もある。
「今日はうまく行かなかった・・・」と反省するような授業の後、「面白かったです」と生徒から感想を言われたり、興味を持った姿を見て、これはますます謎だぁ~(苦笑)って具合。


教授法理論を沢山勉強しても、「これだ!」と思った瞬間、それでは解決できない事やそれでも起こる事がある。

意識して、「教えない」というのも「教える事」だったりして・・・。

とか考えると、本当に混乱する。

「何を教えるか」
「どう教えるか」

それを見つめ続けて、逆にどうやっても「教えられないもの」を発見したりして(苦笑)


で、最近、旦那様に教えてもらっている人を見て思うのは、「教える」のに「教え方」があるのなら、「教わる」にも「教わり方」があるっていう当たり前の事。

「何だか、一生懸命教えたくなるんだよね」と旦那様。

素直に、そのまま、楽しんで「教えてもらう」
そんな人の姿で「教える側」の姿勢も変わる。

そして不思議な事に「教えられない」と思っていたものが、ちゃんと伝わっていて、「教えられる側」が理解していったりするから・・・面白い。


どうやれば、旦那様からうまく教えてもらえるかって事、教えられるかなぁ・・・と考えて見る(笑)
ん~、難しい。

でも、こうして沢山の事を教えてもらっている人を見ていると分かる。
確かに、「教えられ上手」ってあるって事。

そう云う人達に共通しているのは、
素直な事
楽しんでいる事
あきらめない事
答えがすぐに出なくてもすぐにやってみる事

書いて気がついたけど、云われた事を頭で考えないって事って意外とポイントかも知れない。

「頭で考えるなぁ~」という旦那様の口癖はここから来ているのだろう。

・・・って頭で考えて書いていたら、
「適当にしたら?」と隣で旦那様に云われた(爆笑)

素直に従う事にしようっと!(笑)
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2007.05/30(Wed)

ピンチとチャンス 

いつかこのブログにも書いたと思う。
「ピンチとチャンスは一緒に来る」ってね。

でも、実際に、そんな立場に立った人を見て思うのは、
「どう考えても、本人にはピンチにしか思えないだろうな~」って事。

ピンチに立った人を見て、旦那様が
「これはね、本人にとって、ピンチだけどチャンスなんだ」

ああ、そうだった・・・
一緒になって、「どうしよう」って考えていた私がその事を忘れるぐらいだもの。

ピンチやトラブルが起こると、どうしても慌てるもの。
どう、治めるか、どう解決するかで頭の中は一杯になる。
そして、その原因を探る時に「自分の思考回路」が試されるんだけど、
何が起こっても同じ回路で考えると、ピンチはタダのピンチで終わったりして(笑)

何か新しい事を始めた時。
これからどうなるか分からないという期待感と不安。
これから始める今まで経験した事の無い事は、誰にとってもピンチとチャンスが同時にやって来ているのが分かる。

でもね・・・本当のチャンスをもたらすピンチは、ピンチにしか見えない。

空手を始める。
確かに変われる一つのチャンス。
で、本当に試されるのは、その後。
「痛い」
「うまくならない」
「思ったより辛い」

実際に始めてこんな事を思った人に実は「チャンス」が訪れていると気がつくのは難しい。


新しい学校が始まる。
色んな新しい先生や友達に囲まれた環境。
きっと楽しい学校生活が待っているだろうと思う。
でも実際に始まって見ると、
「試験が沢山あるな」
「なかなか友達が出来ない」
「勉強が難しい」

チャンスは始めた時にもやって来ているけど、それは「始まり」に過ぎないなぁと思うのだ。
チャンスを引き寄せるには、ピンチが起きてこそ、本物がやって来るようになっているらしい・・・と、自分でも新しい事を始めて思うのだ。

勿論、辛いと思うピンチの中だけにチャンスはあるわけではない。
何かを始めて、心からそれを楽しんで夢中になる。
それも、大きなチャンスには間違いない。

チャンスをなかなかつかめない人を見ていると、
何かを始めるところまでは行くんだけど・・・
だって、チャンスを掴みたいとは思っている訳で・・・

そして、ピンチがやってきたら、「合わなかった」とか「忙しい」とか
それらしい理由を探してしまう。
これが本能的だから始末が悪い(あはは)

確かに「自分に合わない事」とか「忙しい」とか、色んな理由があるだろう。
それが分かった上で言える事は、そう思った事の向こう側にチャンスはあるって事。

ああ・・・目の前にチャンスがあったのに・・・と隣で私が呟いても、
本人が気がつかないとねぇ・・・(苦笑)

そんな人に限って、
「なかなかチャンスが来なくて」って呟いている声が聞こえる気がするのは、きっと私だけではないと思う。
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2007.05/29(Tue)

私のヒット 

最近の旦那様の言葉の中での私にとって、大ヒット!

「身を守ると云う事は、相手を倒さなくても良いんだよ」

空手で足の技の素晴らしい人がいる。
「どうやって、闘えばいんだろうって誰か悩んでいたけど」と私。
「ああ、簡単。足が出ないように、その前に全部封じればいいのさ」って(笑)


何か気に障る事が起こる。
気に入らない事が起こる。

相手が見えている時、よく理由が自分でも分からないうちに過剰反応する。
そして・・・相手を倒しにかかる(爆笑)

別になぐらなくてもいい(またまた爆笑)
感情的になって、攻撃をしたり、激しい言葉にしたり・・・。

実はとても感情の激しい私は(って私を知っている人は、実は・・・じゃなくても知っている・笑)その逃し方を訓練してきた。
頑張ってやったというより、何度も何度も感情的に生徒に「何故やらないの!」って怒ってを繰り返し(情けない)このやり方の限界を肌で知った。

「どうやればやるんだろう・・・」

だから怒る時は、怒る事が一番効果的だと思った時だけと決めた。

「怒らないと、駄目って時もあるしね。
一種のショック療法だね・・・」と、その手(笑)を良く使う旦那様も言う。

今日はその手を使ってかどうか、相手を動けないように合気道の技を使って腕を掴んで弟子を動けない様にしてから、「さあ、話しようか」って(苦笑)

腕を取られて、身動きを取られた弟子は「話をする」しかない(あはは)

確かに人が何かにこだわって「心」や「頭」が止まっている時、このやり方しか相手に伝わらない時もある。

表面的に見ると、こうした旦那様曰く「計算して怒る」のと、「感情で怒って勝ちに行く」のは同じに見えたりする。

でもね・・・それは、絶対的に違いがある。

それは怒った後の事、つまり、「何の為に怒っているのか」っていう目的。

自分を守ろうと怒ったら、相手を倒す事だけを考えてしまっているもの。
その相手を倒した後の事なんて考えていないし、考える余裕もない(苦笑)

でもね・・・その目の前の気に入らない人を倒しても、次にそのコピーみたいな人がやがて現れる事になったりするもの。
そして、同じような人を全部、倒している内に、気が付くと・・・

「やった!勝ったぞ!」でも、そこには自分だけしか居なかったって事に(爆笑)

「倒すんじゃなくてね、どううまくやればいいかを考えないと」と旦那様。

それを考える中には「自分を知るための」色んな要素が含まれているもの。
「こんな人が苦手」→「自分と似ている」
「こんな人が嫌い」→「自分の弱点」
「こんな事を言われた」→「いわれる自分に雰囲気があるかも?」とかね。

そう言えば、旦那様は今日こんな事を呟いていたな・・・
「怒っても、怒らなくても、うまく行っても、行かなくても、明日は来るのさ」

ああ・・・できるなら、怒らなくて済ます明日にしたいわ~。
だって、怒ると誰かの為でも自分の為でも疲れるもの(苦笑)
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2007.05/27(Sun)

見る人が見れば 

「え!どうして、私がこうするって分かってたの?」
未だに、旦那様の職業を忘れて、思わぬところで行動や思っている事を読まれて動揺する私(笑)

「どうしてって・・・こんな事、特別な能力を使わなくても普通にわかるよ」と旦那様が笑う。


そうなのです。
見る人が見ればわかる。

昔、教師だった頃、朝のホームルームで教壇に立った途端、今日はこの生徒が気になるとか理由は分からないけど、すぐに感じたものだった。
長年の「勘」とでも言うのだろうか。

読まれた側は動揺する(爆笑)
「こんな事、人に分かるはずがない!」と思っている事をズバリ言われるとね・・・。誰でもそうだろうな・・・(笑)

上に立つ人、上司や指導をする立場にある人にはこうした「勘」と言うものが自然と備わってくる。
人を見る目が鍛えられるのだろう。

そう言えば、教師だった頃、私は研修に行きたくて行きたくてたまらなかった。
「海外で研修をして、もっといい授業をしたい」
心からそう思っていた。
十年ぐらい前は、現職のまま数ヶ月や一年海外に研修に行く人がちらほら出てきた。
勿論、上司の推薦がないと駄目だった。
なかなかそういう機会に恵まれない・・・不満というより、もどかしかった。
そして、そういうチャンスにやっと恵まれた時、校長先生から言われた一言。

「必ず、一度は日本に戻ってきなさい」

何故、なかなかチャンスに恵まれなかったのか、そして行くと決まってこの言葉を言われたのか、今の私なら分かる。

でもその時は、「どうしてだろう」「何故こんな事を言われるのだろう」と思ったまま、一年間エジンバラで研修をした。
そして、言われた事を守って、帰国して現場に戻った私は、それから3年で仕事を辞めた。

ほらね・・・

どこからか、そんな声が聞こえるわ(爆笑)

上の人は見抜いていたのだ。
海外に留学に行って、広い世界を知ってしまった私が学校という世界にとどまる事が出来なくなるだろう・・・ってね。
自分でも気が付いていなかった私。

日ごろ、現場にいた時は、「校長の方針が~だ」とか云うような批判の中には加わらなかったけど、色んな意味で満足していなかった私にそんな気持ちがなかった訳ではないのが正直なところ・・・(笑)

でもね、分かってたんだと思う。
私という人間が海外研修に行ったらどうなるかって。
見る人が見れば分かるんだ・・・って今思い出しても苦笑する。

せっかく、国費で留学したのに教師を辞めると決めた時、すでに転勤していた校長先生に電話をした。
「すみません。」
「いいんだよ。もう3年も恩返ししたのなら」

この校長先生は分かっていたとこの言葉を思い出す。

上司や上に立つ人と言うのは、自分が自分を観ている視点とは、違った視点で「貴方」を見ている。
そして、その道のプロの見る目はやっぱり、やっぱりだ。

なかなか研修に行かせてもらえなかった時、「行かせてください」と直談判したらどうなっていただろう???って想像してみたりして(あはは)

きっと本当の理由は言わないで、「駄目です」の一言だっただろうな・・・。
そして、もっと私の不満はつのったかも知れない。
「私の事、わかってない。理解してくれない」ってね(笑)
だって、自分で自分の姿が見えてるつもりで見えてなかった。

今の私がその証拠。
ああ、私の上司は正しかったと認めざるを得ない(苦笑)
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2007.05/26(Sat)

出来ていると思っている事 

自分では「出来ている」と思っている事。
一生懸命やっている事。

それを人から評価されなかったり、「違うんじゃない?」とか「間違っているんじゃない?」とか言われたら・・・。

どんな反応をするかって・・・決まってるわ(苦笑)

「どうして!こんなに一生懸命やっているのに」
「どうして!認めてくれないんだ!」

人の心に起こる最初の反応は大差ない。

かつて、新しい職場に入ると、必ずこういう事はあった。
今までとは違うところに来たら、違うやり方をしなければね。
頭で分かっていても、結構、前のやり方や考え方というのは体のどこかに残っているもの。
必ず、「心が拒否する」

「誰でも自分を守ろうとするからね。自己防衛反応だよ」と旦那様が言う。


だけど、問題はその後の捉え方。

1)わからないけど、納得できない部分もあるけど、どうやれば認めてもらえるのか?
2)言われている事はわかるけど、こんなに一生懸命やっているのに心外だ。

まあ、他にもあるかも知れないけど、大体この二つの内の一つの行動にでるもの。
そして、この二つの行動パターンの違いは、日が経つにつれて大きな違いになってくる。

勿論、1)のように「やってみよう」とする時、初めからうまく行かないのは当然。
だからこそ、「何が自分に欠けているのか」っていうのを見る必要があったりする。

心外だという気持ちで相手の指摘を拒否してしまうと、次に起こるのは、言われた相手の粗探し(苦笑)
「言われている事は部分的に正しいとわかるけど、あなたもこんなところがあるでしょ」
こうなると、自分の事を見ているつもりでも実は見つめていなかったりするのだ。

「自分が一生懸命だ」という事から心が離れない。

「う~ん、自己満足の世界だね」と厳しい旦那様の言葉。



「こんなに思っているのにどうしてわかってくれないの?」

ああ、これって「恋愛」でもよくあるわ~。
「自分が好き」というのと「相手も自分が好きなぐらい返してくれる」というのは別物だもの(笑)

じゃあ・・・どうすれば相手の気持ちがつかめるかって考えたいもの。

そうする内に、目の前にいる「好きでたまらない」と思っている「本当は自分が好きな自分」が見えたりして。


自分を変えるには、例え今は、「これでいい」「こうしかできない」自分でも、明日は少しだけ進んでいればいいや~って思えないとね。

「成長する人はね・・・できなかった理由なんて言わないものさ。
今は、これしかできない自分を認める事が第一。
その次に、これだったらどうだろうって考える事だね」と旦那様。

どうやら、過去(出来ない理由)に生きる人は、ずっとその世界にとどまる事になってしまうらしい。

という訳で、私も「次は何ができるのか」って考えよう!っと。
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2007.05/25(Fri)

本物の会話 

「会話になってない!」
最近の旦那様との間の会話に出てくる言葉。

お互いに手紙やメールをやりとり、電話をするとか、勿論直接会って話をする。

確かに「文字」や「言葉」は間を行きかっているけど・・・
「何にも交換されてない」
「相手の話を聞いて答えてない」
そんな話がこのところ多い。

いつか一度書いた事があるけど、病院の待合室のおばさんの会話
A「あら、こんにちわ。その洋服素敵ね」
B「こんにちわ。今日はここでお会いしましたね」
A「昨日、娘が急に帰ってきたのよ」
B「この前、お会いしたのは何時だったかしら?」

こんなやり取り・・・
会話かとおもいきや、お互い何の話も聞いていない(爆笑)
日常のこうしたやり取りも人と付き合う上では大切な一部だったりする。

だけど、本物の会話にはなっていないわ~。
お互いの事、何にも聞きだしていないもの。


二人の内のどちらかが、相手の事をちゃんと聞いていれば、
A「あら、こんにちわ。その洋服ステキね」
B「あら、有難う。この洋服娘が買ってくれたの。今日はここでお会いしましたね」
A「まあ、いい娘さんをお持ちだ事。うちの娘も昨日急に帰って来てね」
B「あら、そうですか?今、娘さんはどちらにお住まい?」

こうした、ちょっとした会話でも、相手の話を聞いていれば、
Bさんが娘に洋服を買ってもらった事
Aさんにも娘がいる事
などなど、沢山お互いの事が分かる。

好奇心の塊のような私は、どうして相手の事が分かるように話をしないのか不思議でならない。

まあ、好奇心がありすぎて、時々、大変な事になったりするけど。
「え?どうして、この人はこんな考え方するんだろう?」とか思うと質問せずには居られない(爆笑)

「どうして、人の話を聞けないのかな?」と素朴な質問。
だって、人のいろんな事を知るってすご~く面白い。
へぇ~、そんな考え方もあるのか!って単純に感動したりする事も多い。
発見の連続!だったりする(爆笑)

「恐怖心」と一言で答える旦那様。

「結局ね、怖いんだよ」と、???になった私に説明してくれる。

「人にこう思われたらどうしようとか、自分の持っているものが相手の言葉で崩れたらどうしようとか思うのさ。
本能的にね・・・」

そうか・・・って事は、私は殆ど無防備状態?(苦笑)

「自分に自信がある人はね、人の話もちゃんと聞けるんだ」と旦那様。

ああ・・・そう言えば、私も人の言葉が聞けなくなる事がある・・・。

そういう時って「自分に余裕がない」時だわ~。
まあ、私に自信があるかどうかはあまり自信がない(笑)けど・・・。

この「人間に好奇心あり!」って云うのには、自信がある(爆笑)

「まあ、この仕事は、人に興味がないと難しいからね」

この点だけでは、私は合格点だと自分で思う(あはは)
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2007.05/23(Wed)

やっぱりウワテ 

昨日の電話の話で慰めてくれていた旦那様に言ってみる。

「ねぇ・・・、こんな人が居たらどうする?」

どこかに電話をかけて、『~さん、いらっしゃいます?』って聞いたら、
『おりません』で終わるような人っていう昨日の話の続き。

「ああ・・・会話はできないね。だって相手は機械だもの」と一言。

あら!慰めている旦那様の方がやはり上手でした。

「だって、機械に文句つけても仕方ないだろ?」ですって(苦笑)


そう言えば、今の所、本当の意味で会話の出来る機械というのはないに等しい。
ATMの機械に向かって、「なんでこんなに複雑なのよ!」って文句を言っても仕方がない(爆笑)
機械の前で何か言っている人をみかけるけど(あはは)

こう云う時、いつも「読みすぎるんだよね~」とよく苦笑される私は、
「この機械のシステムを作った人の頭の中」を想像する。

「あら、もし私が作れと言われたら、結構大変な仕事だわ」と思ったりして。

その場所に居ない相手との会話、それも不特定多数の人との会話は、目の前に居る人との会話よりずっと難しいと気が付くのだ。

普段何気なく読んでいる「取り扱い説明書」や家具なんかの「組み立ての説明書」
読まない人も多いと思うけど、作る立場になって自分の仕事として考えると、結構大変な仕事だと再確認!

ああ、また例のごとく、私の連想はどんどん広がりを見せているわ~。

でもね、目の前に居る人との会話は基本。
直接話をする人との会話は基本。
そう、旦那様は云う。

「どんな仕事もどんな事も最後は人が見えているかどうかなんだよ」

機械とかモノとか、直接それを使う人と会わない仕事をしている人に旦那様が繰り返し言う言葉。

「何の為に、誰の為に、仕事をしているのか、やっているのか見えてないと、いい仕事はできないよ」

幾ら便利な機械やものが出来ても、
使うのは「人」
作るのも「人」
そして、考え出すのは「人」

人間の感覚はあなどれない。
ちゃんと意識して作られたものかどうかちゃんとわかる。

まあ、機械も機械の役割があるからとも思うけど・・・。

「機械ってスペアーが効くのよね~」という私に、

「君の方が厳しいね」と旦那様。

いやいや、まだまだずっと上手の旦那様をお手本に頑張ります!
(なにを???笑)
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2007.05/22(Tue)

わずかな感情 

ある会社に電話をかけた。

私「~さんいらっしゃいますか?」

相手「いえ、ただいま外出しております」

私「いつ頃お帰りですか?」

相手「ちょっと分かりません」

私「そうですか・・・」


・・・・・それきり何も相手から返事がない。

仕方がないから、そのまま電話を切った。


会社に誰かに電話をかけるという事は
「誰かに話さなければならない用事がある」という事。
だけど、単純に「わかりません」という返事ではね~(苦笑)


『こちらから連絡が付き次第後連絡差し上げますが、お急ぎですか?』
『差し支えなければ、ご用件を伺います』とか、言い様があるだろうに!

と、気が短い私はきちんと怒る(爆笑)
「不快感」がどこから来ているのか認識する。

こういう時、何かがおかしい・・・と思いながら・・・というパターンも少なくはない。

で、このわずかな「感情」って実はとても大事!だと感じるのだ。

きっと、この後の仕事に必ず影響が出ると思うのだ。

この電話の後、話をするために会社に出向いて話を始める。
どこかで、わずかな感情がちょっとした事で影響する。

「だから、この会社っておかしいんだよな~」

言葉になればまだいい。
でも殆どの場合、言葉にする前にどこかで「この会社はこんな会社だ」って評価してしまう・・・って事、結構多いんじゃないかな~と思う。


「話をする時に相手が何を言いたいか、何をしに電話をしてきたか
そんな当たり前の事を想像できないんだろうな~」と旦那様は私をなだめようと(爆笑)冷静に言う。

旦那様もこうした「相手が見えない返事」にはとても敏感だから、結構、カチーーんと怒っている事があるんだけど・・・(笑)
私が怒った時は、もっぱら慰め役に徹しているらしい(爆笑)

ちょっとした事が、思ったより影響している。
人間は感情の動物だ!
少なくとも、私はそうらしいと認識(苦笑)


「もっと、自分の言葉や書く文章には相手をイメージしないとね」と旦那様。

単純に相手に合わせるという意味ではない。
イメージして会話する事で、逆に色んな事をスムーズにしてくれるのだ。

まあ、私もこの怒りを怒りではなくて、どうすれば相手が思うように返事をしてくれるかまで粘る根気を身につける修行中・・・(あはは)
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2007.05/21(Mon)

似てる?似てない? 

「自分の姿って一番見えないんだよな~」と旦那様。

いやいや、本当にその通りだと思う(苦笑)

じゃあ、どうやって見ればいいんだろう?
普通の生活の中でも知らない内にこんな事はやっているもの。
つまり、自分以外の人から言われた事を基準にして見ているのだ。

でも貴方の事をよ~く知っている人でも「完全に客観的」に見てくれているとは思えない。というか、不可能だわ~。
人は誰でも自分の視点からしか人を見ないのが普通だもの。
例え、誰かが「貴方ってこんな人」って言ったり、思ったりしていても、それは貴方の一部でしかない。(同時に一部かもしれないけどね!笑)

じゃあ・・・誕生日や名前を元にした占いは?
それもきっと私の一部かもしれないが、全部ではないだろうな~なんて思う。
だって、もしも誕生日が一緒なら、まったく同じ性格って事になったりする訳で。
誕生日が同じ!って人を何人か比べた事もあるけど、
一見、全く違ったように見えて、「ああ、似てるかも?」と思える点を見つけたり、
「よく似ているわね~」と思ってて、やっぱり違うわ~と思ったり。

どれも自分をきちんと知る確実な基準にはなってない。

結局、色んな方法で見つけた自分の「かけら」みたいなモノを組み合わせて行くしかないのかも知れない。
全く、気が遠くなるような事だわ~。

でも、こうやって自分を知っていくという事。
まるで『自分を知る』って修行みたいに辛い事のように思われている部分もあるけど、「そうか・・・」って発見した時には面白い!って感覚も誰にでもある。

身近に居る人と言うのは、そうした自分の姿を映し出してくれる事がある。

病気に対して、怖がりの妹をいつも笑っていた私。
でも、ふとした時に自分も同じぐらい、いやそれ以上怖がりだって気が付いた(苦笑)
だから、病気になりそうなものって言うものに過剰に反応する。

「社会のこれがおかしい、あれがおかしい」っていう話が大好きな母。
「お母さんが一人そんなにはりきっても、世の中そんなに簡単に変わらないわよ~」っていつも苦笑していたけど・・・
「どうして、社会ってこうなってるんだろう?」っていつも疑問に思ってしまう私の思考回路は、どう考えても似ている(苦笑)

って、一つ一つ観て行くと、「血は水より濃い」と認めざるを得ない(爆笑)

「似ている」と気が付いた部分が好きでも嫌いでも「似ている事」には変わりがない。

「似ているって嫌だわ~」なんて過剰に反応すると、絶対これだけは治す!と必要以上に頑張って、もう一つの欠点を作ってしまうことになったりして(あはは)

どんなに否定しても、自分の周りに居る人間は結構、自分の一部に似ているのかも知れないと思って、周りを見回すと、結構色んな発見があるかも知れない。

ところで、夫婦も似てくる・・・というか、「似ている」と思う事が多い。

「って、事は・・・私は旦那様に似て来たって事?」と気が付き、最近、観察(笑)を始めた私。

「似て来たといよりね・・・最初から似てたよ」と、旦那様。

え!!!知らなかった。

自分を知る道のりは・・・長いらしい(笑)
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2007.05/20(Sun)

質問! 

「分からない事があったらどうしますか?」

高校入試の面接でのお決まりの質問の一つだ。
友達に聞きます。
先生に聞きます。
なんて、練習してきた通りの答えばかりだった(苦笑)

でも・・・
一番、私が聞きたかったのは、「どう質問するか?」って事だったな~。

面接の時は決まった質問以外は聞かない事に原則的になっていたからそれ以上聞けないのがもどかしかったのを覚えている。

質問って、自分が答えをわからない時に質問するのも、それから答えを相手から引き出そうとして質問するのもどちらも難しい。

「どう聞けばいいのかな~」

旦那様に相談しに来ていて、うまく質問できない人の顔にはそう書いてある(苦笑)

「『こういう事があったんです』という事実だけをそのまま聞かせて欲しい」と旦那様はそんな時に口にする。
質問の仕方をどうすればいいのか分からないのなら、そのまま素直に「分からない」と伝える事って、思っているよりずっと大事だと思うのだ。

コミュニケーションの力を付けるって、思っているよりずっと複雑。
一人一人の個性もあるし、その内容によっても「濃さ」みたいなもの、
使う言葉も違ってくる。
お互いにとって心地のいい距離感でコミュニケーションをとるというのは
言葉でいうよりずっと大変な作業なのだろう。

一番まずいのは、「分からない」→「そのままにしておく」って事かも知れない。
永遠に分からないままであるばかりではなくて、自分の前にある大切な何かを逃しているのかも知れないのだ。

コミュニケーションの中で一番の障害になるのは「沈黙」

黙って人のいう事を聞くという姿勢もある場面ではありだと思う。
「沈黙は金なり」ということわざもあるぐらいだから。

でもね・・・
本当に相手から何かを吸収したいとか、自分で何かを得たいと思ったら、
「リスクは犯すべし!」だと私は思っている。

もしも、黙っているべき時に言葉が多すぎたり、言葉を間違えたら?

それは、会話がそこで終わるから「失敗」となる。

多すぎたな~と思えば、次から相手の言葉を聞く時間を増やせばいい。
間違えたな~と思えば、もう一度違う言い方で「こういう意味だったんです」と言えばいい。

コミュニケーションの下手な人は、言葉を発しない人かもね。
運動とかと一緒。経験の多さが、唯一の上達の道だと思うのだ。

「沢山、沢山、話をしなさい」と旦那様の口癖。

そして、私はその言葉を真に受けて(爆笑)
「これはどうして?」
「あれはどうして?」
と、いつもいつもそのまま疑問に思った事を口にする。

こうして考えると質問するにはテクニックはいらないのかもな~。
(聞く相手にもよるだろうけどね)

いつも思うけど、言葉は、血液のようなもの。
人と人の間を流れていて、その中でいろんなモノが運ばれる。

だから、血液の流れが悪いと体の調子に影響するのと同じように、言葉が足りないと人との間の関係も滞ってくる。

「どう質問しようかな~」とか「こんな事、質問しても大丈夫かな~」とか
色々、考える前に、口にしてみたらどうだろう?

それを繰り返して気が付いた事。

「私って、自分で思った疑問の答えを自分で知ってる!」

大喜びする私(笑)をみながら、旦那様はすこぶる冷静に言う。

「当たり前だよ~。
誰かに相談しても、それが先生でも霊能者でも答えは自分の中にあるのさ」
EDIT  |  02:50 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.05/19(Sat)

あなたがそこにいる事 

実は、何が奇跡って、「あなたがそこにいる事」が一番奇跡かも知れない(笑)

自分の過去を思い出して、ずーっと辿っていくと、何か一つでも違っていれば、ここに私はいなかったかも知れないと思ったりして。

「いや~、君は意思が強いから、必ずたどり着いていたと思うよ(笑)」と、旦那様が笑って言う。

確かに・・・色んな事をがまんしたり、時間を思ったより時間をかけてるなぁなんて感じながらも、こうしか進めなかったかも知れないとも思うと・・・
一つや二つ何か起こってもやっぱり同じだったかも?

どちらにしても「私がここにいる事」ぐらい今の自分にとって確かな事はない。

過去に何があったか、未来に何が待っているのか。
それも「今」の自分を観る為のもの。

だから旦那様は言う。
「今が一番大事だよ」

「もし、あの時こうしていれば」と後悔に似た気持ちがどこかにあるのなら、今、何が出来るのかを考えると、過去の出来事も「後悔」ではなくて、プロセスになる。

今を観る時に大切なのは、今にこだわる事じゃなくて、
流れの中の「今の自分」を観る事。

できれば、その時の自分の感情と、事実がごっちゃにならない方がいいかもね。


先祖を辿る事や、それを思い出す事も「今の自分」を観る為の一つの方法だと思う。

こんな人がいた。
こんな風に生きた。
その先に「あなた」がいる。

「良い」とか「悪い」とか、そんな事ではない。
そこに好き、嫌い、いやだという気持ちがのっかるのは当然だとも思うけど。

もっと自分から距離を置いてそんな事を眺めていると・・・
自分の中にきっと繋がっている「何か」が見えるかもしれない。
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2007.05/18(Fri)

お願い事 

自分の子供が貴方に

「お父さん、お母さん、お願いします。
僕の大好きなチョコレートを沢山、沢山食べさせてください」ってお願いしたら?

さて、貴方は何と答えたらいいか・・・。

ひょっとしたら、神様や仏様から見たら、殆どの人のお願い事ってこんな感じかも?
ってふと思って苦笑い。

恋人が見つかりますように。
宝くじに当りますように。
運がよくなりますように。

他にも沢山のお願い事を聞いているだろう神様や仏様。

「余りにもくだらん!(笑)」と却下されても仕方がないわ~(爆笑)


さて、親の貴方が子供にそんなお願い事をされたら、

1)かわいいから、このくらいと思うぐらいのチョコレートをあげる
2)チョコレートは体に悪いのよと諭す
3)~したらチョコレートを食べていいわよと条件を出す

なんて、一番一般的にどうするかって考えてみたけど、他にも色々あるだろう。

で、どれが一番いいか・・・なんて答えはない。
「一人、一人の状態によってアドバイスも変わるのさ」と旦那様はよく言う。

チョコレートが体に悪いと思い込んでいる人から見たら、簡単にチョコレートを与えてしまうなんて考えられない!なんて思う人もいるかも知れない。

食べ物で条件を付けて、子供のしつけにするなんてって思う人もいるかも知れない。

チョコレート=体に悪い
食べ物でしつける=信じられない!

って公式を作ってしまって、「人」を「公式」に当てはめようとすると、こんな一面的な事しか見えなくなってしまう。

いやいや、こう考えると、人のお願い事をかなえるというのも大変な事だと思ったりして(爆笑)

「人のお願い事なんて、そんなに簡単にきいてはくれないよ」って旦那様の言葉に変に納得したりして・・・。


3人姉妹だった私は、いつもお菓子を3つに別けていた。
「いつか、チョコレートを一枚、全部一人で食べたい」
そんなかわいらしい(爆笑)事を思っていた。
ある日、その願いをかなえる為、一枚のチョコレートを買って、一人で食べようと包みを開いた。
ところが・・・そのチョコレートはちっともおいしくなかった。

この経験で、私は、チョコレートを食べるって事からもう一つの教訓を得た(大げさ)
「ああ~、別けて食べて、もっと欲しいと思ったからおいしかったんだ」

「チャーリーとチョコレート工場」の映画を見ながら、こんな事を考える私。
やっぱりちょっと変わっているかもね~と自覚(笑)
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2007.05/17(Thu)

やってみないと 

「やってみないとわからない」事ってある。
というか、殆どがそう・・・。

久しぶりにスイッチをオフにする為、山の中に出かけた。

「休んでみないと、どのくらい疲れているのか分からなかったよ」と旦那様。

日ごろ、眠っている時まで仕事をしている事のある(どうやって?笑)旦那様。
それでも全ての事のスイッチをオフにする事は正確には出来ないんだけど。

自分の状態を元に戻す事ってとても大切と言っている旦那様。
それでも知らない内に溜まるものは溜まる。
そして、それは「その場から離れないと分からないんだ」

「休むのも仕事の内だよ」という旦那様の口癖。

自覚していない疲れは、自分もそして周りの人にも少しずつ影響するからたちが悪い(苦笑)

帰りの車の中から、富士山が見えた。
いつ見ても美しく、そして迫力のある山。
遠くに見えていた山に近づけば、もっときれいに見えると期待して車を走らせる。
ところが・・・
近づいて行くと、手前にある山が視界をさえぎって、段々見えなくなってしまった。

何でも同じだな~。
その場にいて、何かをしていると、よく見えるはずだと思い込んでいるけど、
実際は、近すぎると見えない事、感じない事もある。

そして、離れてみれば、休んでみれば、見えてくる事もある。

このレモンはすっぱいですって、幾ら口で説明しても、化学式で表しても、成分表を見せられても、レモンをかじった事のない人にそのすっぱさは伝わらない。

「知っている事と経験、その二つがあってできあがる」

そうやって考えると、頭の中で「こういうものだ」と想像して終わらせてしまっている事がなんと多い事!!!(苦笑)

「真言を100回読んで、成仏するのかな?」と言う私の質問。
母が私に投げかけた質問をそのまま、旦那様へ(笑)

「読んでから考えた方がいいかもね(笑)」

そのまま、母に伝えようと思う(爆笑)
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2007.05/14(Mon)

シンプルに 

こんな場合はこうした方がいい、ああした方がいい。
そんな方法を沢山、書いて来た気がする。

でも・・・
「幸せになる」「運を開く」のにもっとシンプルで簡単な方法があるって事に気が付いた。
と言っても何も新しい事ではない(苦笑)

「いつも明るく笑っていなさい」

という旦那様の一言。

これで、大体の「被り」も「悩み」も「トラウマ」も吹っ飛ぶ。

何で被ったのか、悩んでどう解決するのか、小さい頃どんな経験をしたのか。
今、そこで「明るく笑う」事が出来れば、全部、原因なんて探る必要はない。

そのままシンプルに「色々あったけど、今日も一日面白かった~」って。
それだけで、一気に解決!だわ。

「そんなに簡単に解決するものじゃない!」とお悩みだとしたら・・・。

「無理しても明るく笑う事ができれば、その内、何が起こって大丈夫になるから」と旦那様は言う。

悩みや被り、そして、霊もそうだが、「明るい所」が苦手なのだ。

逆に、「暗い所」には好んで集まるらしい。

ならば・・・
一番、簡単で、ちょっとした訓練ぐらいで出来る事。
楽しい事があったら楽しめばいい。
感動する事があったら感動ればいい。

ちょっと辛かったら、きっといつか役に立つさ!と思えればいい。
出来ない事があったら、その内できるようになればいい。


空手の試合を旦那様と一緒に見に行った。
3歳とか5歳とか小学生とか、相手が強かろうが、背が高かろうが、なんにも考えないで、自分のやって来た事を信じて「自分は勝てる」と思っている顔。

「純粋な子供の姿は、大切な事を思い出させてくれるよね」と皆で話し合う。

もっとシンプルでいい。
私が受け取ったメッセージ。

それを受け取る事が出来ただけでも・・・行った甲斐があったと思う。
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2007.05/13(Sun)

目の前の幸せ 

目の前の幸せ・・・なんて、どこかで聞いた映画の題名みたい(苦笑)

でも・・・今日も一日元気で、ご飯をおいしく食べて、家族も側に居て・・・。

そんな幸せな一日を過ごしても、普通の事の中に沢山入っている「幸せ」が見えなくなるもの。
そんな「目」で見ても「幸せ」って探せないかも知れないなぁって思う事がある。


「心が囚われない状態を悟りって言うんだ」と言う旦那様の言葉を聞いて、

「心を自由にしたいのに」
「もっと悟りたいんです」

って思う人もいるだろうな~。

でもね・・・
それは、「心を自由にする」事と「悟る」事にこだわっている訳で(苦笑)
頑張れば、頑張る程、目的とは違う方向に行ってしまう。

はあ~難しい(苦笑)
幾ら頑張っても「力を抜きなさい!」と言われて、「思うように抜けない」
「意識すればするほど、返って力が入ってしまう」のと似ているわ。


「頑なになったには、成った理由がそれぞれの人にあるんだよ」と旦那様。

そうだわ~と最近、その向こう側にあるその人の経験が感覚で伝わってくるようになった私。
「そうなるのも仕方ない」と、味方をしたくもなる。
だけど、同時にその先には幸せがあっても本人に見えないとすれば・・・。

自分の経験した心の苦しみをどうするか。

修行に向ける。
仕事に向ける。
好きな事に向ける。

「エネルギーを変換するって事って大事」と、旦那様も言う。

「自分から見て、負のエネルギーだって、使い方次第なんだ」


さて、そんなエネルギーをどう扱ったらいいかって事だけど・・・。

「自分で何故、うまく行かなかったんだろう?って徹底的に見つめるだろ?」

まず、「逃げないで見つめる事」が大事。

「次に、それを『見つめすぎない事』」

え?今度は、それを見ない事って言われても、難しく聞こえるわ~。

「頭で考えるからだよ。
このプロセスは、頭でやるものじゃないから」


貴方がそこで今生きている、悩んでいるって事は、
これまでの問題はクリアーしてきたって証拠。
だって、今までだって、沢山問題はあって、それをどうにか乗り越えてきたはず。
それを忘れているだけかも知れない。

今、ここに居るだけで「幸せ」なのかも知れないと気が付く事が出来たら・・・。
人から「これが幸せだ」って与えられたものではなくて、

きっと、自分の「幸せ」が見つかる。

その目で見れば、本当は沢山の、沢山の「幸せ」に囲まれているって・・・
時には見渡してみるのもいいかもね。
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2007.05/12(Sat)

不安と心配 

「この先、どうなるんだろう」っていう心配や不安。

持とうと思えば、幾らでも持てる(爆笑)

「ねえ、地球の温暖化が凄く進んでいるんだって」
「鳥インフルエンザって凄い勢いで広がっているらしいよ」
ロンドンに住む妹は、こうした事を明日にでも地球が無くなるような勢いで言う(笑)
一般的な話題として話す分にはいいけどね・・・
「将来、起こるか起こらないか分からない問題を悩みすぎるのもねぇ」と返事をする私。
「でもね、20年後にはこうなるっていう数字も出てるのよ」

イギリスという国は、こうした情報を比較的そのままメディアが伝える傾向があると昔から感じていた。
日本ではきっとメディアに載せたら大騒ぎになってしまうような事もはっきり書いてあったりするのだ。

こんな社会的な問題を知り合いのイギリス人と話をすると、
「それは大変!」って言う。
「けれどね・・・次の日から、何も変わらない生活をしているの」
情報があってもそれに振り回されないらしい。
勿論、話題によってはかなり過激に反応する事もあるけど。
シリアスな話題も「一つの話題」「話の種」になっている程度だったりする。

心配症の妹は、それが気にかかるらしい(笑)
「これだけ大変って言っているのに」

「あのね・・・こんな事が世の中で起こっているって知っておくのはいいけど、
すご~く心配して、それで鳥インフルエンザに罹らないならいいんだけど」と私。

心配や不安になるなって言ってるのではないんだけど、度が過ぎると、
「~したらどうしよう」って事だけを基準に生きていくって事になるかもね。

「地球温暖化の心配を本気でするなら、車に乗るの止めたら?」と平然と言う旦那様。
(あはは、その通り!)

世の中には自分が心配しても不安になっても流れにまかせるしかないものもある。

「この国どうなるんだろう?」
「この会社どうなるんだろう?」
「この仕事、これだけの価値があるのかな?」

心配して、解決する問題なら、心配すればいいけどね・・・・

「ない頭を使うな!」という旦那様の言葉はこんな事を指しているんだろう。

考えても、心配しても「自分ひとり」で解決する事が出来ないのなら、
「まず、今、自分がやるべき事をちゃんとこなす事だね」と旦那様は言い切る。

不安になって心配している時って、そうした自分の目の前のやるべき事に集中できない事が多いのだ。
その結果、「やっぱり心配した通りになった・・・」って思ってもねぇ(苦笑)

あ!そうか。
本当の「集中力」ってその時に「集中するべきものに集中する事」って事なんだ。
集中して考えても今の私に「地球温暖化」の根本解決はできないもんね~。


ところで、心配症の妹は本当に「車に乗る」のを極力減らす事にした。
片道、歩いて一時間かかる送り迎えを毎日やっている。
「気候がいい時だけしか出来ないけど・・・」

歩くようになって、自分の家の周りに沢山の発見があったらしい。
「こんなに色んな所があったのね~。気が付かなかったわ」

そこに住んでから、もう4年以上経って、新しい発見をして楽しんでいるらしい。
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2007.05/11(Fri)

自己アピールの先 

日本人って昔から「自己アピール」が下手って言われる。
否定したいけど、もう卒業した、大学院の授業に行くと、初めの数時間は、余りのアピールの凄さに、いつも口を閉ざしていた私(苦笑)

こんな時、自分で、「ああ・・・私、日本人だった・・・」と思う。

日本人の中に居る時は、違和感を感じるというより、結構自分で自己アピールする事も多いのだけれど、圧倒されてしまうというのも確か。

でも・・・クラスが終わる頃(数ヶ月後)には、逆転しているって事もあったな~なんて思い出す。

自分をアピールするには色んな目的があるだろう。

このグループの中での「自分のポジション」を確保する。
「自分の意見をはっきりいう性格だ」
「自分の意見をしっかり持っていて、それを外に出す」

こんな時、一番障害になっているものは、
「こんな事言って、変わっているって思われたらどうしよう」
「こんな事を言って、人から敬遠されたらどうしうよう」
という恐怖感だ。

勿論、それさえあんまり興味がないって人もいるだろうけど(苦笑)

大切なのは、自己アピールして、物事は終わらないって事。
むしろ、その後が問題だったりする。

「人にはそれぞれ色んな意見があるからね」と旦那様。

自己アピールをした後、
「自分が言った事を相手が分かってくれない」って苛立ち。
「こっちが正しいのに・・・何で自分の言ったようにしないんだ」とか思い出したりして・・・。

自分のアピールした自分の意見や気持ちに理解したり、協調したりするのは、
「相手の勝手(笑)」「相手の都合」なのだ。

「本当はそうしたいけど出来ない理由というのも人それぞれあるからね」
と、旦那様。

かつて、教師だった頃、「私が言ったようにやれば、英語が出来るようになるのに」
と思った事があった。
(あ~この前に引き続き、私の傲慢暴露になっているわ・笑)

でもね・・・私が言って、やるかやらないか、その子に私のやり方があっているかどうかなんて、そんなに簡単に分からないもの。
長い、長い間、言っても言っても勉強しない生徒を相手に学んだ事。

「そうするかどうかは、相手の勝手」

昔、旦那様も同じ事を悩んだらしい。
「どうして、アドバイスしたようにしないんだ!」
「どうして、言った事が分からないんだ!」

人を指導すると言う事は、自己アピールの先にあるもう一つのハードルを越えなければならない・・・って超えてから気がついた。

きっと、自分が抱えている問題ってこんな風に後で分かる事って結構あるんだろうな~。
う~、今、分からない事があっても、超えてから振り返る事にしょう・・・っと(苦笑)
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2007.05/10(Thu)

一致 

昨日はPCの調子が、突然おかしくなった。
日頃のメンテナンスが必要だわ~と思った次第。
PCも人の体もある一定のレベルになるまで、「おかしい」と自覚しないらしい。


「頭で思っている自分の体」と「実際の体」に差があるとなかなか日常生活では気が付きにくいもの。
そして、「あ!」と思った時にはすでに「本格的(笑)」に・・・なんてね。

そう言えば、先日から始めた空手。
きっと、体のメンテナンスに役に立つだろうな~。
と、「軽い気持ちでやりなさい」と旦那様に言われてはいるけど・・・(笑)

始めて一番驚いたのは、「自分で思ったように体は動いていない」と気がついた事。
「はい腕を90度に曲げて・・・」と言われても、全然90度になっていない(苦笑)

一番厄介なのは、「90度曲がらない」とかいう事よりも、
「90度、自分では曲げているつもりだ」という事(あはは)

これって結構、ポイントだと思うのだ。

つまり、日常生活の中で「自分の頭の中」で
「こうやって、ああやって」と考えて「自分はこうやった」と思っている事と、
「自分が実際にやっている事」との間には「開き」がある・・・って事。

そして、その「開き」や「差」は、

「自分でもっている自分像」

「他人が持っている貴方への印象」

「実際の自分」

この3つがバラバラって事に繋がったりして。

まあ、一番、大変なのは何と言っても自分。
「こんなはずではなかった・・・」って事が起こってくる。

次に大変なのは、周りに居る人。

「自覚がないんですもの・・・」ってあなたの事を思っている。
例え、はっきり貴方に言ってくれる人が居たとしても、自覚がないから、
「ちょっと、こうした方がいいですよ~」なんて言われても「治せない」とか「治す必要がない」とか・・・思ってしまうもの。

「自分の心と自分の体を一致させるんだよ」と旦那様の言葉を思い出す。
オーラの所で同じ事を書いたんだけど、
この何でもないようだけど、
実際にやってみると愕然(笑)とするぐらい「外に出ている自分」が違う!!!
って事、知らない内にやっているかも知れないと思った次第。

例えば、皆で共有する会社のものを自分では「丁寧」に扱っているつもり・・・
でも、人からみると「もう少し、丁寧に扱ってくれれば」と思われているかも知れない。

・・・なんて、私もブログで書きながら、自分で分かっていても、実際に体を動かしてみるまで「実感」していなかった訳で(苦笑)

こう言う意味でも「新しい事」はやれば何かを気づかせてくれるんだな~。
「何かをやってマスターする」って目標も大切だけど、
「何かをやって、気がつく自分」っていうのももっと大切・・・

「頭でっかちになるな~」
旦那様の言葉の意味も
「頭でっかちにならないようにしよう」と頭で考えて・・・(苦笑)じゃあね~。
言われた事をやらないと「頭でっかち」で終わるのよね~(苦笑)
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2007.05/09(Wed)

自分に出来る事・出来ない事 

昔、若かった頃(って、誰でも昔は若いけど)傲慢にも
「私にできない事はない」と思っていた(爆笑)

「今出来ないだけ・・・努力したらできる様になるはず・・・」
負け惜しみで思った訳ではなく、心から「こうなりたい」と思った事は
自分で努力すれば出来る様になると信じていた。

ある日、極めて当り前だけど、出来ない事があるのに気がついた。

「私・・・自分の右手は、自分の右手で掴めない・・・」

繰り返すが余りにも自分で出来ない事があるなんて「当たり前」の事。
出来ない事は昔も今も山ほどある。

お恥ずかしい限り・・・でも・・・この当たり前のことに気がついてから、自分のある部分が素直になったのを覚えている。

「なんでも自分でやるしかないって頑張りすぎるのは止めよう」

右手が掴みたかったら、「右手を掴んでくれる人」を探そうってね。


「幸せになる」ってこれに似ている・・・

「幸せになりたかったらね・・・相手を幸せにしようと思わないと」と、旦那様が言う。

「幸せになりたい」
「誰か幸せにして」
「何故私は幸せじゃないの?」

って、相手に一方的にも求めても「幸せ」は遠のくばかり・・・

「相手を幸せにする事で自分が幸せになる」
自分だけでは出来ない事は、「右手を掴む」事だけじゃない。

「幾ら、恋人同士でも付きあっていても、こんな思いで付きあっていたら、
片思いと変わらないかもね~」と旦那様。

人と人との関係は、「片思い」だといつかは崩れるもの。

こんな大事な事を気づかせてくれて・・・
傲慢だった過去の私に感謝したいくらいだわ(爆笑)
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2007.05/08(Tue)

どうしよう・・・ 

ここ数週間、色々と行事があったのに加えて、「原稿」を書いていた。
そう、このブログを元にした本の「原稿」
こうした、締め切りのある事をやり始めると、実はとてもプレッシャーを感じてしまうタイプだ・・・って改めて実感(苦笑)

やっと一段落ついたところでブログに書き込みがあった事に気がついた。
あら~、やっぱり、何かに集中すると周りが見えなくるって本当だわ~
と、言い訳にもならない言い訳。

その書き込みを読んで似たような話があった事を思い出した。

私の友達のご主人が友達にお金を貸してしまう。
それも一度や二度ではないし、その金額も百万単位。
「子供の頃からの親友だっていうのよね~」と相談された。

私もその人には会った事がある。
それは、彼女がたまたま留守だった時、彼女の家で待たせてもらった時の話。
彼女のご主人は、「お金」を貸していただけでなく、家を修理してもらうという仕事も頼んであげていた。
私が訪ねた時、彼はなんと部下に仕事を任せて、一人横になって寝ていた。

「こんな時どうしたらいいのかしらね~」と旦那様に聞いてみる。

「ご主人は、その相手を大切に思っていると言っているらしいの。
でも、限度というものがあるしね・・・」

「昔からの知り合いっていうんだったら、彼女の知らない所での繋がりってあるだろうしね」と、旦那様。
「私は、許せない!とか言っても駄目だろうし」

こうした事は、どこかで何かがおかしいいると分かっていても「恩」や「感情」と言うのは、理屈を超えた所で物事を動かしてしまうらしいのだ。

「ご主人もなにかおかしいって気がついているわよね」

こうした状態の時に一番大切な事は、
「夫婦として家族として、相手を信用する為に話し合いをする事」だという。

理屈で分かっていてもという事をやっている時、
感情で動いてしまっている時、
普通に話をしても責められているように感じてしまうだろうな・・・と思うのだ。
責められると感じると、余計に意固地になるのも普通。
この一つの事で自分の判断がいつも間違っていると言われているような気になったりするんだろうな・・・なんて思ってしまう。

話し合いをするにしても、自分もきっと理屈にあっている事を言いながらも感情的になって行くだろうな・・・なんて、彼女の気持ちを想像して思ってしまう。

「どこまでだったら、自分が許せるか」って話し合いを持てたらいいねと旦那様は言う。

私だったら・・・「貴方が『恩』を受けた人なら、ちゃんと返さないとね。
でも、それで家計に無理がかかりすぎると言うのはね」とか切り出すかな?

その人が自分の感覚から見て、信用できない人であったとしても、人にはそれぞれ人の都合や生き方があるのだろう。
それが単純に「私が嫌い」「私と合わない」だけ。

「その人だって、家族のために一生懸命仕事をしているのかも知れないしね」と旦那様も言う。

自分にとってプラスでない人も誰かから見れば違った面があるかも知れない。
自分にとって「正しい」「正しくない」って事が、誰にとってもそうであるかどうかは「絶対、この人は間違っている」と言う目で見てしまうと見えなくなり易いもの。

実際、そういう人を利用して・・・って生き方をしている人もいるのかも知れないけど・・・

「そうやって、一面的に見ると自分が苦しくなるよね」と旦那様。

人にはそういう生き方しかできない理由だってあるかも知れない。
「『善』と『悪』だけで判断するとね・・・
せっかく持っている人を見抜く目も生かされないかも」

「どうしよう・・・」と1人で悩んでしまうようなこんな問題。
こだわればこだわる程、自分でも解決する道を閉ざしてしまう。

ところで、先に書いた友人の話の続き。
彼女は「貴方の友達だから。でも出来ない事は出来ないってちゃんと彼に言ってね」
と言って、そのまましばらく見守っていた。

その事を知った、彼の母親は
「私、貴方の母親じゃなくて、友達になりたいわ~」と言ったそう(苦笑)
(つまり、好きな時に好きなだけ貸してくれる人になってるわよ!って間接的に言われたらしい)

そして、ある日、弁護士からある一通の書類が届いた。
かりたお金を使って、会社を立ち上げたまま姿を消したというのだ。

幾らなんでも、それでもう貸す理由は「親友でも」と言えるようになった、そのご主人・・・というか、もっと貸してあげたくても・・・
「どこに居るのか、未だに分からないらしいのよね」

物事は、いづれちゃんと自然に動くのだ・・・
それまで我慢してご主人を信じ続けた彼女を誉めてあげたいって思う。
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2007.05/06(Sun)

ぴったりの相手 

今日は、旦那様の弟子の結婚を祝う会。
このブログを読んでくださっている人の中にも出席してくださった方がいるでしょう。

色々、準備もありましたが、旦那様はともかく大役を終えて一安心と言った所。

「いや~、こんな風になるなんてね」と旦那様。
まあ、事実上、二人を引き合わせたのは、旦那様のようなもの。

でもね・・・結びつけた旦那様本人が驚いているぐらいだから(爆笑)

「今となっては、お互い、この相手しか居なかったと思うだろ?」
写真の整理をして、二人の表情を見ながら言う。

「本当に、ぴったりの相手っているのね~」と私。

写真で見ると余計に分かるのですが、二人が持っているものが「同じ」
うまく説明できないのが悔しいのですが、
この世の誰が分かってくれなくても
この人だけは、理解してくれるだろう・・・
理解するまであきらめないでくれるだろう・・・

無理して言葉にすれば、こんな感じになるかしら?(苦笑)


旦那様がこうして、自分で言った事が現実になって驚くというのは不思議だと思う人がいるかも知れませんが、
実は旦那様が「何気なく言った言葉」って聞き逃さない方がいいですよ~(爆笑)
・・・って側で見ていて思います。

とても自然に、旦那様の口から出た言葉は、自然の流れに沿った事なのです。

勿論、人はそれぞれの立場がありますから、分かっていても、その自然の流れに沿って進めないって事もありますが。
それに、一時的にとても今の自分には無理だと思われる事や「そんなはずは・・・」と思うぐらい、意外な事だったりする事だってあるかも知れません。
自分の事って見えなかったりするものですし、見えるスパンというのはやはり違いがありますからね。

自分にとって、言われた事が意外なのは、まだ「時期」が来ていないからだけかも知れないのです。
自分がその流れに気が付いて居ないだけかもしれないのです。

旦那様は、未来を見るのは意味がない!とよく口にしますし、それは本当だと思います。だけど、自然な流れに乗って、本人が幸せになると思えば、何気ない会話の中にに「こんな風に進んでみたら?」と云うようなアドバイスが含まれている事が多いのです。

こうして起こった事が、自然な流れだった事は、後になって分かる事が多いのです。
人は自分の視点から見てしまうと、混乱してしまう事だってあります。
やがて、事がゆっくりと進んで、「その道が一番だった」と証明してくれるでしょう。

「時間」というものは不思議なもので、分かる時が来れば分かるし、それまで「自分の目」からは見え無かったりするのでしょうね。

二人をゆっくりと皆で見守りたいと心から思います。

ただし・・・私には、「お互いにとって一番の相手だった」ってすでに見えてますけどね(←かなり自慢げ・・・爆笑)
EDIT  |  02:29 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.05/05(Sat)

お願いの仕方 

もし、自分の願いがかなう方法を知っていたとしたら、
それを、どんな風に使いますか?
どんな風に願いをかけますか?

例えば、自分の子供の入学試験。
「この学校に行けますように」
例えば、何か手に入れたい物
「これが2万円で手に入りますように」

お願い事をかなえてもらったとしましょう。

ところが・・・って事って考えられませんか?

「先生、どうしても見つからないんです」と、旦那様の弟子がある日電話をしてきた。
自分の仕事に使うものをずっと探しているが、どうしても見つからないと言うのだ。

「心の中で、できるだけ具体的に思い浮かべて・・・そして、あそこに行ってごらん?」という旦那様の返事。

そして・・・「み、見つかりました!有難うございました」としばらくして電話がもう一度かかってきた。

次の日、その弟子に会った時に
「よかったですね、見つかって」と私。

「ええ・・・でも・・・
やっと見つかったと思って、早速買って車に乗って出発したら、窓から同じものがもっと安い値段で売っているのが見えて・・・」と複雑な表情だ(笑)

「どういう風にイメージして探しに行ったんだい?」と聞く旦那様。

「大きさがこのくらいで、2万円のものってイメージしました」

「それじゃあ、2万円のものが見つかるはずだよ(笑)」

あら~、願いどおりに見つかった・・・というか願いどおりになりすぎ(爆笑)


ある人が子供にこの学校に行って欲しいと思って、旦那様に会いに来た。

「どうしてもこの学校に行って欲しいのです」

「そうですか・・・ところで本人はその学校に付いてなんて言ってますか?」

「まだ、連れて行った事がないので、わからないと思います」

「それじゃあ、その学校に入ってからうまく行くか本人が確かめるのが先ですね」

こうした親の思いで私の働いていた学校に来た生徒も沢山いた。
そして、その中には確かにどう見ても「合わない・・・」という生徒も・・・。

「他にもこの学校だったら良いと思う学校はありますか?」と旦那様が聞く。

「ええ、後、3校の受験をする予定です」

「できるだけ、受験の前に、本人をその学校に連れて行ってください」
というアドバイス。

私も全く同感だが、子供は親が思っているより、自分で感覚的に合う、合わないが分かるもの。
ただ、そうした感覚があっても表現方法を知らないだけだったりするのだ。

「この子供にとって一番、合う学校に縁がありますように」って思えたら。

親の気持ちはとてもよく分かるが、通うのは本人だし、学校に行った後の学校生活もある・・・それにその子の人生は、学校を卒業しても続く・・・。

「自分の思いだけで、願いを通そうとするとね・・・」と旦那様が苦笑する。


私も先日同じような思い違いをしたばかり(苦笑)
ある人とある人を引き合わせようとしたが、スケジュールがなかなか合わない。

「すぐにでも会わせたいのに・・・」とあせる私。
旦那様は、平然と「流れにまかせなさい。無理なものは無理なんだから」

しばらくして、ようやくそのタイミングが合って、引き合わせる事が出来た。

「なかなか、スケジュールが合わなくて、遅くなってしまって・・・」と私。

相手から返って来た返事は意外だった。
「いやいや、そんなにお忙しい人に時間を取っていただいて」とむしろ恐縮。
どうやら、引き合わせた人が日本中、いや世界中を飛び回って活躍している人というイメージが伝わったらしい。
(実際、そう云う方なんだけど・・・)

いやいや、もの事は、どう流れるのか全く予想が付かないものだ。
・・・なんて、旦那様の側に居る私が言うのも変かもしれないけど。

「何かが止まったり、動いたりするには、それなりの理由があるのさ」

こんな時は、自分が見ていたスパンの短さに苦笑する。
「時間」という要素は、スパンの短い、視野の狭くなった人には見えない結果をもたらすのだろう。


ああ、いつの日かどんな事が来ても
「一番、いい流れになりますように」って、自分の思い入れを入れずに、考えられる様に私もなるのかしら?

このせっかちな性格。
やはり行き過ぎているのは間違いないと、昨日に引き続き反省(苦笑)
EDIT  |  01:47 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.05/04(Fri)

行も空手も 

実は、昨年末から『ミニ行』をやっている。

真言を読むというシンプルな「行」

礼拝行などというダイナミックな行に比べたら、「静」の行って感じかしら?

「時間の長さは関係ないよ。その時間を持つこと自体が大事」


たまたま今日はその行の時に旦那様が見てくれていた。
時々、見てくれるという恵まれた(真面目に!)環境にいる私。
しか~~し!
今日は又新しい発見をしてしまった。

「意識の持ち方がね・・・ちょっと」と旦那様。

お手本を見せてもらった方が分かり易い私。
それを見て、大きな間違いに気が付いた(涙)

なな、な~んと私の行は「独り言」状態だった・・・。

意識の持ち方で同じ事をやってもこんなに感じが違うとは!
いやいや、意識の持ち方って本当に大事だと再確認した次第。

そう言えば、この前からとうとう空手の練習を始めた私。
まだ基礎の基礎。
うまくならない!とイライラする私に
「その内、出来るようになるから」と慰めれる始末(あはは)

実は(というかばればれだけど)私は、旦那様に負けないぐらい、「負けず嫌い」
誰かに負けるという事よりも「できない自分」と言うのが大嫌いなのだ。
それは、自分でも関心(笑)するぐらいのもの。

出来るようになるまで、何度も繰り返す。
何かを始めても、すぐには上手にならない・・・
時間のかかるタイプの私は、すぐに出来るようにはならない事は百も承知。
なのに・・・というか、だから・・・繰り返し、繰り返し。
最初は回数が全て。
でも意識の持ち方が分からないと余計に分からない、覚えられない。

「空手も行も同じだよ」と旦那様が言う。

う~、でもやっぱり、なかなかできない自分にいらいらするのだ。

そんな私を余り知らな人は、「楽しんでますか?」って聞いてくれる。
そんな余裕があるかないかは別にして(爆笑)
何かを始める時はいつも夢中になりすぎてしまう・・・これも長所で、欠点。
自分で知っている。

そんなに簡単に上手になるわけないよな~
皆、何十年もやってるんだから。

まあ、できるだけ、気楽にやるつもり。
でも、この自分に対する「負けず嫌い」
ちょっと、度が過ぎているかもね・・・(苦笑)
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2007.05/03(Thu)

振り返ると 

「振り返ればよくこんな事できたな~」って昨日の話の続き。

結果だけを見た人はどう思っただろう。

凄い人だ。
あの人だからできたんだ。
運の強い人だ。
それは、全部正解(爆笑)

最後まであきらめないから「凄い人達」
そんな意思を持った人達だから「その人達だから出来た事」
無理と思われた事でもどうにか乗り越えた「運の強い人達」

でも、本人達も言うのです。
「いや~、もう二度とやりたくないですね」ってね。

あきらめない気持ちを持っていても、「もう駄目か」と思う事は途中でいくつも起こる。
一度決心したものの、「これでよかったのか」と迷う気持ちを必死で抑える。

その気持ちをキープし続けるには、それなりの「勢い」がないとね。

「こういう事をしたい」という夢や希望。
持つのは簡単だけど、実現するのは難しい・・・なんて当たり前の事。
それよりもっと難しいのは、
決心した後に起こるいろんな障害をどう乗り越えるかっていう
「気力」と「知恵」

「できると思って考えないと、知恵は出てこないさ」と、旦那様。
「絶対に方法はあるはずなんだよ」

旦那様がこうした相談に乗る時に一番大切にしている事だという。
「否定論なし」
「できないかも知れないというところから考え始めない事」
「どうしたら、出来るかって考える事」

同じ問題を抱えた同じ人が「できないかも」とか「無理かも」とか
その視点でモノを考えると、「出来る道」は見えなくなる。

今の仕事が嫌い→自分は道を間違えたのかも知れない
と、思いながら仕事をするのと、
今の仕事が嫌い→どうすれば楽しく仕事ができるか、どこかにそのヒントがないか
と、思いながら仕事をするのでは、

結果、「やっぱり、合わなかった」とその仕事を辞めたにしても、そこで「学んだ」事に大きな違いがでる。
そして、それは次の仕事場でもっと大きな違いになって出てくるのだ。

ものの考え方を少し変えるだけで、結果はすぐには変わらなくても、やがて大きな違いを生み出すもの。

旦那様がこうして成功した人達にアドバイスした一番大きなものは、
乗り越えるための知恵や方法を一緒に考える事と
そのプロセスで「絶対方法はある」と励まし続ける事だと思う。

「ねぇ、同じような相談が来たら、どうする?」と旦那様にいじわるな(笑)質問をしてみる。

「いや~本人達と一緒に闘っていたから、確かに大変だったけど・・・
・・・でも、又やるね、きっと(笑)」

「もう二度と同じ事はやりたくないです(苦笑)」と言った人達。
旦那様と話をしていて、次の新しいアイディアが浮かんできた。

あれ?もう腰が半分浮いている(爆笑)

こういう人達って、良い意味で忘れっぽいらしい。
今、自分達が言った事などすっかり忘れて、もうその世界で旦那様と一緒に夢中で話をしている。

なんだか・・・麻薬みたいなものなのかなぁ・・・

キラキラ光る彼らの目を見ていて、「次もやるな」と確信したのでした(あはは)
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2007.05/02(Wed)

信じる事 

「振り返るとこんな事よく出来たものだ・・・」

旦那様の周りでそんな事を成し遂げている人達。

本人達の言葉にすれば、
「奇跡です!」と、なるらしい(笑)

旦那様は、「当然の結果です」と返す。

ある事をやらなければならないとか、やるしかない状態になって、決心をする。
それでも、その決心した時には計算に入ってなかった事が「奇跡」に見える結果に至るプロセスでは沢山起こるもの。

そして、「奇跡」が起こった瞬間に次の「奇跡」に向かっての道が始まっている。

「自分でお店を持ちたい」と思ったとしよう。
必要なものは?
資金は?
働く人は?
採算はあるのか?
場所は?

考えなくてはならない事が山ほどある。

そして、あきらめないで思い続けて、最高のタイミングに来た時、その全てが揃うのだ。

「それを引き寄せているのは、本人の意思だよ」と旦那様は言う。
それをどうあきらめないで、どう一緒に進むかって考えて、旦那様も後押しする。

「結果が出た今だから言えるけど、不安だったと思うよ」と旦那様。

なにしろ人の心は、「もしうまく行かなかったらどうしよう」という引力に引っ張られ易いから(苦笑)

何度か経験があるが、やる前に「できる!」と100%信じる。
そうすると、ちゃんとできるって事が私にもあった。

「彼らがね、結果を出せるって100%信じてあげる事。
それが一番大事なんだ」

誰かが100%信じてくれたら、きっといつかは出来るものだと、こんな人達を見ていて思う事。
だから、私は大学の宿題で不安になると、旦那様にお願いして、
「『君だったら、出来るよ』って言ってくれる?」って云う奥の手を使った。
(あはは、甘えてるわ~)

「当たり前、君に出来ないはずはない」

言ってもらって、ちゃんと魔法にかかって(爆笑)ちゃんと卒業した。


相手が誰であれ、頑張っている姿を見て、100%できるって信じてあげる事って、きっと、きっと、「奇跡」を生み出す原動力。
難しいのは、その100%が少しでも見せかけだと、決心した相手はそれを見抜いて、不安の引力に引っ張られるって事だろう。

でも、一度信じたら、疑わないで信じ続ける事って、大切にしている人にしてあげられる一番確実で一番大切な事。

本当に人をサポートするって、「相手の足りない何かをしてあげる」事だけじゃなくて、「信じて疑わないこと」じゃないかな~って・・・。

こんな人達の「奇跡」と「軌跡」を見てて、思う事。
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2007.05/01(Tue)

こだわる・こだわりを捨てる 

「人が変わるにはね・・・最低、千日はかかるんだ」と、旦那様。

そう考えると、学校とかいろんなものが3年という区切りで出来ているのかな~なんて・・・おおよそ、千日にあたるものね。

自分を変えようと色んな事に没頭してみる。

でも・・・何かを始めても、三日で終わるから・・・って人も多いかも。
「それでもいいんじゃない?探し続ければ、きっと没頭するものがみつかるから」と旦那様。
何にでも没頭するタイプの旦那様にも三日かどうかわからないけど、
試してはやめ、って事は沢山あったらしい。

大事な事は、始める前に「頭で考えないこと」
考えても、実際に「経験」する事は天と地ほど違うから。

そして、どんなに「これはいい」と思って始めても、辛い時期があり、
やっててよかったと思う時期あり、楽しいと思う時期あり、なんで始めたんだろうと思う時期あり・・・
続けてさえいれば、そういう時期を繰り返しながら一日一日が進む。

旦那様にも「こうあらねばならない」「こうでなくてはならない」とこだわった時期はあったそうだ。
男として、宗教家として、武道家として・・・
まあ、そのこだわりは並じゃなかっただろう。
今もその片鱗は残っている・・・と冷静に(笑)観察する私。

だからだろう、修行をしている弟子には厳しい時も多い。
「行をやっているのだから、このくらいは当たり前」と平然として言う旦那様の言葉に弟子は「本気ですか~~~(涙)」って(爆笑)

「人間って急に変わるとショックを起こすんだ。それにその間、強い気持ちを持ち続ける事が大事」
勿論、どうその千日を過ごしたかによるんだろうけど、その間に、意識が変わり、変わり・・・って具合に想像しても無駄だったと後でわかる(笑)



そうやってこだわって自分を変えようとした時期の先にあるものは・・・

「千日が終わったら、その先には何が待っているのか」ってどうしても考えたくなるのが普通の人だ。


何が分かるかって???
やっぱり知りたいですよね・・・。
でも考えすぎると、始められなくなったりして・・・。
でも、ちょっとさわりだけ(笑)

千日かけて出来上がったものは、自分の自信になっている事間違いない。
だけど、旦那様が修行を終えて山から降りてきた時、一番ショックだったのは、
「千日やったものが、役に立たない・・・」と一瞬思った時だそう。

「一度作り上げたものを崩して、ゼロにしましょうよって結構ハードだろ?」
笑って言っているけど、自信があるもの程、それが崩れるとショックは大きかっただろうな・・・。

だから、「その時感じる恐怖が一番の敵かもね」と言う言葉も納得だわ。

「だけどね、しばらくすると気が付くんだよ。
ある強制的な枠の中でやってきたものは本物の力ではなかったってね」

どこでも、いつでも、なにがあっても本当の自分でいられる。
本当の自分の力を出せる。
そうならないと、千日でやって来たものの本当の力は身に付いた事にならないという。
「そうなった時に初めて、やって来た事に心が乗っていくと思うんだよ」

こだわって、こだわって、こだわりを捨てる。

こだわりを捨てるためには、こだわる時期があるって事でもあるのだろう。

このプロセスは、読んでいるだけ(頭でかんがえているだけ)では、分からない。
ただ、大変だ!やっぱり辞めておこう・・・って思うのか、どうか。

それは、何かを千日やった事のない人の思う事だと・・・思うな~(笑)
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