2007.06/30(Sat)

終わりと始まり 

昔、英語の構文を教えていた頃、「健康を失って始めて、その価値を知る」
not untilを使うんですよ~なんて、やっていた。

この健康の様に「無くならないと見えにくいもの」というのが身の回りには沢山ある。

不自由になって始めて、その有難さに気が付く・・・
人ってなんて、鈍いんだろう(苦笑)と思う事が多い。

朝、起きたら、誰かが朝食を作ってくれていて当たり前。
電車は時刻どおりに走って当たり前。
会社や学校に着いたら、そこに会社や学校があって当たり前。
時間になったら仕事や勉強を始めて当たり前。

こんな普通の事の向こう側には、沢山の気が付かないものが動いている。

そして、当たり前な事が当たり前で無くなる時がやがてやってくる。



よく予言で「世界の終わり」って言葉が出てくる。

「ねぇ、世界が終わるって・・・どう終わるのかしら?」と何気なく聞く私。

「今までの価値観とは違うものが始まるって事さ」と、旦那様。

私の頭の中では、「世界の終わり」は戦争みたいなものがあって、今あるものが全部壊されて・・・それから・・・えっと・・・人が全部居なくなって・・・

「あれ?ソビエト連邦って無くなったんだよね」

「うん。いくつかの国に別れたけどね」と、旦那様が返事をする。

つまり、今はいくつかの国に別れて居るけど、
有る意味では、まだ「存在」している訳で。
地面も人も何もかも無くなった訳じゃない。

こうやって考えていくと、「~が終わる」「~が無くなる」って、頭の中で想像しているのと、実際は全然違うのかも!

「終わりは、始まりなんだよ」という旦那様の言葉を突然思い出したりする。

目の前にある問題が一つ片付いて「終わる」と、
ちゃんと次の問題が待ってました!と言わんばかりに始まるって事も少なくない(苦笑)

そう考えると・・・
ゆっくり、今抱えているものを、じっくり解決するのもいいか・・・

「国の終わり」からこういう思考回路を辿る私。
結構、ハチャメチャ過ぎて、すでに・・・終わってる・・・かも(あはは)
スポンサーサイト
EDIT  |  02:23 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/29(Fri)

トラウマの解消 

トラウマの全くない人も居ないかも知れない。

でも、トラウマが強く残りすぎて、どうしても苦手な事があったり、
過剰反応してしまう事があったり、ある場面でどうも落ち着かなかったり。

そんなトラウマを抱えているとしたら、どうやって解消したらいいのだろう?

極端な高所恐怖症だった私は、「自分の昔の経験を思い出す事」でかなり改善された。
今では、やっぱり苦手だけど、歩道橋をどうにか渡れるぐらいになった。

こんな風に「思い出す事」で解決するものもある。

今日、そんなトラウマを抱えた旦那様の弟子と話をしていた。

「なんだか、落ち着かないんです。昔の事が思い出されて」

そんな弟子の言葉に旦那様は一言、
「見なくていいよ」

実は、他にもトラウマのあった彼は、「過去の自分の経験を思い出す事」で解消した事がある。

「え?思い出さなくてもいいんですか?」
半分、自分で思い出してしまっている本人はきちんと思い出せれば、解消できると思っていたらしい。

「思い出してね・・・解消する事とそうでない事とあるだろ?」と旦那様。

そう・・・
トラウマと言っても色々。
だから、解消の仕方も色々のはず。

「思い出すより、同じような経験を沢山しなさい。
そうすれば、気が付いた時には、消えてるから」

人と接する中でいろんな経験をする。
嫌な思いもする事があるだろう。
時にそれは、心に痛みを伴って刻まれる事だってある。

こんな場合、思い出すより、「人と接して楽しい、嬉しい経験をする事」でその痛みがやがて消える・・・。

失恋みたいなものだな~。
誰かと別れて、悲しい思いをしても、その教訓を生かして次にハッピーな付き合いができれば、「ああ、あの経験があって良かった・・・」なんて思いだせるものね。

この前から、恋愛ものに偏っている私(あはは)

いやいや、恋愛って結構、人の心に刻まれてる・・・
心の訓練をするのにもって来い!だと、色んな人を観察して最近つくづく思うから。

「本」の中や「映画」の中のバーチャルな世界の恋愛は参考になっても、
「記憶の上塗り」には成りにくい・・・かな・・・?とも。

さて、さて、しばらく、旦那様や弟子の恋愛話を聞きだして、
この先を研究してみようっと!(笑)
EDIT  |  03:33 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/28(Thu)

疑問 

昔、若い頃、疑問に思った事があった。

「誰かと付き合って分かれる」
「誰とも付き合わないでいる」

どちらも「今」は一人。
ならば、付き合った方がよかったのかしら?
付き合わない方がよかったのかしら?

あはは・・若い!(爆笑)

でもね・・・それはずっとどこかに疑問として残っていた。
(↑相変わらず執拗な私・笑)

「結婚したいんですけど、相手がいなくて」
「そろそろうちの娘も結婚相手が現れないかと思って」

旦那様がそんな相談を受ける事だってある。
時期が来ている場合もあれば、本人の準備が整ってない場合もあれば、それは色々。

「結婚はゴールじゃなくて、スタートだから」という旦那様。
相手が見つかって、結婚して終わり!って、相手を探す時は思ってしまうもの。
なかなかその先までは見えないものね~。

「沢山、恋愛を下方がいい!」と、旦那様は言い切る。
勿論、結婚する前の話だけど。
こればかりは「経験が命」なのだろう(あはは)

って事は、例え別れる事になっても付き合った方がいいという答えになる訳で。

最近になってようやくその理由が私なりに分かった。

人の気持ち。

理解しようと思えば、努力する。
どうでもいい相手だったら、その努力もそこそこ(苦笑)

「放って置いてよ!」って喧嘩する。
言われたとおりにしても、何か言葉をかけても・・・喧嘩している時は、
相手は「怒る」「黙る」ってね(心当りのある人も多いはずだわ~)

一体、どうすればいいんだよ~。
何故、怒ったんだろ?
相手が悪い?それとも自分が何かした?

・・・つまり、言葉通りでない人の心を理解しようとするのに
恋愛以上の材料はないかもしれない!って事かな。

最近、言葉を教える時に「プラグティクス(語用論)」
という小難しい(苦笑)側面が脚光を浴びている。

簡単に言えば、誰かが「寒いね」と言った時、
「私は、寒くないです」と返事するか。
「そうですね」と返事するか。
「窓を閉めましょうか」と返事するか。
適切なコミュニケーションをする為の「適切さ」を教えようとするもの。

・・・って、全然、簡単じゃないけど(爆笑)

ともかくは、はっきりした事。

「恋愛は、別れてしまう事になってもする価値はある」

勿論、恋愛するのに「目的」なんていらないけど、「恋愛」でしか学べない「人の心」ってあるんだよな~と、数十年かけて分かった!

・・・今頃?分かったの?ってどこからか声が聞こえてきそう(笑)
EDIT  |  02:45 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/27(Wed)

どちらが正しい? 

何気なく、旦那様に聞く。
「ねぇ、これとこれってどっちが正しい?」

あ!と思った時は、もう遅い(笑)

「誰にとって?」と返事がかえってくる。

分かっていて、つい聞いてしまう私はなかなか学ばないらしい(あはは)

意見が食い違う。
選択肢がいくつかある。

そんな時にそれぞれがそれぞれの立場で同じ事を判断してはいるものの・・・

トラブルがある時は特にだけれど、誰にとっても自分の意見は「正しい」のだ。

例え、その意見がまったく逆だったとしても、自分の意見が正しいと思うから、お互い譲れない。

そんなトラブルを両方の視点から見てみる。
(第三者の特権!笑)

ああ・・・どちらも「正しい」と思っても仕方ないや・・・(苦笑)

いつも思う事だけど、その人が何と何をどこまで見ているかによって、その判断は変わってくる訳で、
こういう状態で、これとこれだけ考えれば正しい・・・。

だけど・・・
これがあれば、話は別だわ~。

って具合になる訳で(苦笑)
私の最初の質問は「愚問」だわ~って今更思う。

自分が「正しい」と思って、それを通すのも一つのやり方かも知れない。
でも、ひょっとしたら自分が見落としている事があるかも知れないって余裕は無くしたくないものだ。

それに、自分の意見に固執している時には、考えている様でも・・・
自分が正しいと思う視点から探す「根拠」ももっともらしく感じるもの。
「だってこうだもの」
「そう言えば、こんな事もあったし」

だけど、そんな探し方は、あまり意味がないかもね~。
だって、初めから「自分の意見」と違うものは排除されてるもの(笑)



「アメリカは日本の『東』にあるんだ!」

「いいや、僕がアメリカから日本に行った時は、『西』に行ってちゃんと日本に行けたよ」

・・・みたいな議論を、やってるのかもな~(苦笑)

話の「軸」を決めないと、どちらが正しいかって必死で話しても『結論』は永遠に出ないのだった・・・(苦笑)
EDIT  |  02:53 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/26(Tue)

何やってるの! 

どうやら、私は、とてもせっかちらしい(苦笑)

何でも思いついたら、すぐにやらないと気が済まない。
聞いて分かったと思っている事と、実際にやってみる事。
この間に痛いほど、違いがあると、なんども痛い目にあって学んだ(あはは)

だから、聞いたらすぐにやって見たくなる。
それが普通だと思っていたし、今でも思っている。

旦那様の「こうやってみたら?」というアドバイスを側で一緒に聞いていて、
「ああ、そうか・・・」と思う私。

アドバイスを聞いている人より先にそれをもうやろうとしている(笑)

「せっかちだね~(苦笑)」と、そんな私の姿を見て、旦那様が苦笑する。

「だってね・・・やってみないとわからないじゃない?」と答える私。
それが私にとっては一番自然なプロセスだったりする。

・・・と、アドバイスされた本人を見ると、まだ始めてないわ~。

「何やってるんだろ?」と、せっかちな私が思うのはある意味必然(笑)


何かをやって、それでこうなったという経験をした私の目から見れば、
「早く始めればいいのに~」としか思えなかったりする。

まったく、せっかちだわ~(苦笑)
自分の事だけにせっかちなのは、まだいいけど、
(←旦那様がそう思っているかどうかは不明・・・笑)
人にまでせっかちが及ぶとね・・・

「人は、自分のスピードでしか育たないんだよ」と、旦那様。

ああ・・・そうでしたぁ・・・
こんな事、教師時代に痛いほど感じて来たはずなのに・・・。

教えても、すぐにできるようになるわけじゃない。
教えても、すぐに英語が話せる様になるわけじゃない。
教えても、すぐに理解できるわけじゃない。

そう思って、思って、それでも生徒には「何やってるの!」って思ってしまう。

・・・ん?

ひょっとしたら、仏様や神様が、私の周りに「気がつきなさい」とメッセージを沢山送っているものがあるとしたら?

きっと、すごく沢山の物を気がつかないで過ごしているかも知れない。

きっと、
「何、やってるの・・・」って、ため息ついてるだろうなぁ・・・。

「少々お待ちください。
私も自分のスピードで進んでいる途中ですので・・・」とでもいい訳するしかない(苦笑)
EDIT  |  02:11 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/25(Mon)

ないものねだり 

こうだったらな・・・
これがあったらな・・・
これがなかったらな・・・

人って、無いものねだりするものだ。
人と比べてそう思ったり、昔の自分とまで比べたりする(苦笑)

もう少し、人と話をするのがうまかったら。
もう少し、体格があったなら。
もう少し、もう少し。

まあ、よくも次々考えるものだわ(苦笑)

昔は、よく「もう少し鼻が高かったら」なんて、親から言われて、
本当に高かったらよかったのに・・・と思った事もあったっけ(笑)
けれども、ある外国人と話をすると、
「鼻が高いと言うのは誉め言葉じゃないんだよ」ですって!
(鼻が高い、大きいというのは、あまりいい意味では使われないらしい)

この話をきいてから、とりあえず「もう少し鼻が高かったら」と思うのはやめにした(←単純な私)
私の親はそれでも私の鼻の高さを気にしていたけど(爆笑)

自分を昔の自分と比べるって事もある。
「もう少し、気のレベルがあがれば・・・」
自分の気の量が少ないのを感じたり、旦那様からそう言われたりして思ったもの。
だけど、実際に「気」の量を上げていくと、思いもかけない事が待っていたり(笑)
気の量が上がる時は、数日、時には数ヶ月も例えようのないような痛みに襲われる。
時には、針で指されたような痛み。
時には、締めつけられるような痛み。

「こんな事なら・・・」って思わないと言えば嘘になる。

「~でなかったら・・・」
「もう少し・・・だったら」
それが叶ったとしても、今の悩みや「こうなるだろう」と想像しているようになるとは限らないなぁ~、なんて思ったりもする。

・・・って事は、
ひょっとしたら、何かがうまく行かない原因は、
「~がない」事じゃなくて、
「~がない」と思っている事だったりして。

自分の「思い」って馬鹿にできない・・・と気がつく。

「感覚が上がれば、分かるようになるから」と、旦那様から言われ、
「感覚が上がれば、こんな事が分かるようになるんだぁ」とやってみて、

自分の分かりたい事だけでなくて、自分が想像した以外、それ以上、分かるようになって思う。

「やる前に、言ってくれれば良かったのに~」ってね。
(←まあ、自分勝手な事・笑)

「ちゃんと、言ったよ~」と旦那様。

どうやら、ないものだりすると、「自分の都合のいい事」だけを想像し、
「自分の聞きたい所だけを」聞いてしまうみたい・・・。

何かがあっても、「いい事」と「そうでない事」がある。
何かがなくても、「いい事」と「そうでない事」がある。

旦那様の空手の技を見ていて思う。

きっと、旦那様がもっと体格があったら、あのスピードときれはきっとここまで無かっただろうな~ってね。

ないから、出来るようになるって事もあるのだと、気がつく瞬間でもある。
EDIT  |  03:09 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/24(Sun)

そんな時ほど 

毎日、仕事をしたり、勉強をしたり、家事をしたり。
同じ事を繰り返す事って多い。

中には、タダの習慣になってしまって、朝、歯を磨くなんて、
『今日、ちゃんと磨いたっけ?』って思い出せないぐらいになってしまう事だってある。
教師時代に5時半に起きて、7時には教壇に立っていた頃、半分寝ぼけたまま、教え始めた頃、やっと目が覚めて、「あれ?家の鍵、ちゃんと締めたっけ?」って不安になったりした事もあったわ~。
自宅に帰ってみると、不思議とちゃんと鍵はかけていたけど。

こうした、繰り返しの毎日でも、目に見えない「違い」がいつも起こっている。
だけど、疲れた体や心は「同じ一日」と捉えてしまう事が多いもの。
少しずつ、無意識に溜まった疲れは、ある時いろんな形で表に出てくる。

「人間の体はね・・・疲れた分、疲れたって認識はしていないんだよ」

先日、PCの調子が突然おかしくなった。
急に反応が鈍くなったのだ。

「PCも同じ。いろんな不都合が溜まっていても、それが一線を越えると、こうなるのさ」と、さっさと旦那様が調整してくれた。
お陰で、今の所、順調に動いている。
「ちゃんと動いているからって、安心しては駄目だよ。メンテナンスって大事」

一線を越えて出てきたものは、時間をかけて溜まったもの。
PCのようには、体は、リセットできない?

いやいや、それも内容によるだろう。

長い間の体のゆがみから出て来た痛み。

「長い時間をかけて出てきたものだから、やっぱりある程度の時間をかけて修正した方が体に負担がかからないから」と、旦那様は気を使って他の部分に負担をかけないように治していく。

「早く、治ればいいのに~」と、少し症状が軽くなると思うもの。

「治してあげるよ。だけど、かなり痛いけど、いいかい?(微笑)」

旦那様が「痛い」というのがどのくらいの「痛み」なのかを知っている人は、絶対に「それでもいいから、治してください」とは言わないだろう(苦笑)


心の疲れは、なかなか厄介だ。
一番の、リセット法は、「一度、考えている事、やっている事」を一度、忘れる時間を持つ事。
ところが、疲れてくれば来るほど、全体が見えなくなって、深みにはまるのはよくある。
「考えないようにしよう・・・」とすればする程、心はそれに囚われる。

体の疲れも同じようなところがあって、「休めば治る」という単純なものでもない。

「寝ても、休んでも治らないなら、一度徹底的に疲れなさい」
と、いうのが旦那様の口癖。

ところが、本当に疲れている時に限って、こうした事をやってもリセットするのは無理・・・って思ってしまう。
だから、「忘れよう」として、「忘れられず」、
「寝て」おきたら、疲れは取れていない・・・って具合に益々、疲れが抜けないまま。

そんな時ほど、「忘れよう」と意識する暇がなく、「こんなに疲れていてできるかな」と思う事をやった方がいい。

自分の効果的なこうしたリセットの仕方。
ちゃんと見つけて、それを、「やりたくない時」
それが、「やり時」だ。

矛盾しているように聞こえるかも知れないが、やってみたらおわかりいただけると思う。
EDIT  |  01:55 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/23(Sat)

このくらい常識? 

最近、いい意味でもそうでない意味でも、私の周りで良く聞く言葉。

「このくらい常識だろ?」


自分ができる事や知っている事を誰でも出来るとか知っているとか・・・
意識しない内にそう思ってしまうもの。

思うだけならまだいいのだが、そこで終わらないのが人間だわ(苦笑)

コミュニケーションがうまく行かなくなると、必ずと言っていい程、この言葉で相手の非を責めたくなるのだ。

「このくらいわかるだろ?」
「このくらい誰でもできるだろ?」

・・・なのに、何故、君は出来ないんだ・・・って後に続くのだろう。

自分の常識を振りかざしてしまうと、結局は相手を責め、そしてその挙句は自分が相手を拒否するって繋がってしまう事も少なくない。

「この仕事を始めた時、こんな事も知らないんだって驚いたよ」と、旦那様。

熱が出て、体調を崩した人が相談をして来た時の話。
「市販の解熱剤でいいから、飲んですぐに熱を下げてください」とアドバイスした旦那様。
それに対して、「え!そんな薬を売っているんですか?」と聞かれたらしい。

医者の家で育ち、その勉強をして来た旦那様にとってはにわかに信じられない答えだったらしい(苦笑)

そう言えば・・・
私が英語を教えていた時に、外国と言えば、アメリカみたいな公式があって、
「ロンドンは・・・」と言ったら、「アメリカの中のどの辺りにあるんですか?」って質問された事があった。

逆に、アメリカに行った時は、「日本から来ました」って言ったら、
「日本って、中国のどの辺りですか?」って聞かれたりした事も・・・

いやいや、皆、自分が知っていることを知らない人に会うと、一瞬固まってしまう(あはは)
いかに、気がつかない内にその空気の中で身につけた「常識」を着込んでしまっているかって事でもあるのだろう。

「常識」は「常識」として身につけて行く事も必要だろうと思う。

「皆、いちいち指摘してくれるほど、親切じゃないからねぇ」
社会の常識をアドバイスしている旦那様が苦笑いする。

自分の持っている常識だけが、常識だと思うと、いろんなトラブルが起こってくるもの。

極端な話だけど、国際会議に行って、「何故、日本語が話せないんだ。日本語なんて、常識だろ?」って外国の人に言うのと同じ様な事をやってしまう可能性がある(笑)

まあ、そんな事を国際会議で言ったら、逆に「世界で日本語が通じないって知らないなんて・・・常識を知らなさ過ぎる・・・」ってなるだろう。

そして、外国のどの国からも相手にされなくなるだろう。

「同じ言葉を話している」って事は「同じ常識を持った人だ」って事ではない。

って、当たり前の事を忘れてしまうんだよな~~~。

だから、それを忘れないように、
「同じ人間でも、話す言葉が違う様にだけしておこう」って神様の采配だったりして。

いずれにしても、「このくらい常識だろ~」モードは、余り幸せな結果はもたらさないらしい事だけは・・・確かな気がする(爆笑)
EDIT  |  03:03 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/22(Fri)

自然が一番 

「無理は続かないんだよな~」と旦那様。

自分を大きく見せたい。
自分を守りたい。
自分を偉く見せたい。

殆ど、本能に近いこうした感覚は、「無理」を自分にさせてしまう。


その上、厄介な事に自分のそうした「本能」って素直に認識できない事がある。

自分を大きく見せたい。
だから、ちょっとでも小さく見られたと思うと、過剰反応する。
馬鹿にされたと感じたり。
自分も大した事無いくせにとか反撃したり。

自分を守りたい。
だから、自分が正しいと言ってくれる人の言葉だけを集めたり、
味方になってくれそうな人を必死で探したり、
周りの人間を一人でも味方にしようとしたり。

自分を偉く見せたい。
だから、会社での立場で他の場所でも振舞ったり、
こんな物を持っていると、こんな家に住んでいると言ってみたり。

こんな風に書くと、「嫌だわ~」って殆どの人が思う。

だけど、よ~く振り返ると、誰でもどこかでこんな事、ちょっとはやっている。

自分の大きさを見せて、人を導かなくてはならない場合もあるし、
自分の立場を守る必要がある場合もあるし、
自分が守りたいと思った場合、

ある意味、自然の反応なのだ。

時に大きすぎる自分を作り上げて、自分が苦しみ、
守ろうとして、敵を作ってしまい、
理解されたいと願うばかりに、理解してくれないと嘆く。

「皆、そんな苦い経験をして学んで行くんだよ」と、旦那様。

ある場所で身につけたと思ったものが他の場所では通用しない。

「場所を変えなければ、楽なんだろうけどね~」と付け加える。

そして、その試行錯誤の末に行き着くのは、
「自然が一番。自分らしいのが一番なんだ」

「自分らしくある事」を自分が拒否してしまう・・・
一体、人間はどう複雑に出来ているのだろう・・・。

益々、人間に興味が湧く(←私らしい・笑)


ただ、今分かっているのは、「自然になる」って、
結構、難しいんだな~
結構、忘れ易いんだわ~
て事ぐらいだわ(笑)

「自然への道は長い・・・」と呟く私。

「思っているより、近いかもよ~」
と、相変わらず、宇宙語を話す旦那様なのだ(笑)
EDIT  |  02:17 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/21(Thu)

喧嘩して仲良くなる 

女性という事もあり、「喧嘩して仲良くなる」って感覚、よくわからな~いって思っていた。

旦那様と空手の試合を観に行ったり、練習を観たり・・・
ちゃんと体に当ててやるから「バン!」「ドス!」と音がする。

小さい頃から、そんな音を聞き慣れていない私は、実は今でも聞いただけで「痛い」

男の兄弟も居ないし、叩かれた経験もない私にとっては、実際に痛い感覚より、心理的に「痛い」が先に来る。

いや~、それにしても、実際に人を叩くという経験をこの歳になって初めてするとは思ってもみなかった。
勿論、「空手」の練習の中での話である。

教師時代も、その他も、実際に殴ったり、殴られたりした事の一度もない私は、
「はい、叩いてみてください」って言われても、何をどうしたらいいのやら(苦笑)
相手が目の前に立って、そう言ってくれても、サンドバックなどとは明らかに違う。

でもこの経験で、少しだけ分かった事がある。
「喧嘩して仲良くなる」って感覚。

勿論、空手は喧嘩ではない。
「喧嘩して仲良くなる」の「喧嘩」もタダの殴り合いとも違う。

だけどね・・・お互いが真剣に向き合うって中で起こる事。

それは、実際にやってみないとわからない感覚なのだろうとも感じる。


実際に、相手を叩いても叩かなくても、そこで気持ちの何かが「交換」されれば、
それは次の段階を生み出すのだろう。

「何でもね・・・真剣に相手に向き合うってそういう事だと思うよ」と、旦那様。


最近、思うのは、「相手に真剣に向き合う」って姿勢って何にでも通ると思うのだ。

真剣だから、時に「喧嘩」みたいになる事もある。
真剣だから、相手にどうにか分からせたい、分かってもらいたいと思う。
真剣だから、楽しめる。

その時に見えてるようで見えにくいのが「相手」
真剣でありさえすればいいってものでもないところがポイントだろう。

自分の意見や思いを伝えて「おしまい!」って、ちゃんとした喧嘩になってない(苦笑)

「その為にはね、自分の心を開く必要があるからね」と旦那様。

相手に対して、ちゃんと「心を開いて喧嘩する」って思ったより勇気のいる事。

終わってみれば、「な~んだ、こんな事ですれ違っていたのか」とも思える事。

もう一つ大事な事は、途中で止めない事だろう。
中途半端は、変な「うらみ」みたいなものを残してしまう。

「喧嘩して、仲良くなる」為には、最後まで真剣にやる必要がある・・・って思う。

心を開いていない人との会話は、それだけで疲れる。
特に、旦那様の様な感覚を持った人には開いていないのが分かるから余計だ。

そして、「心を開いていない」事を本能的に知っている本人は、そう見抜かれている事を感じる。
その内、見抜かれている事が「恐怖」になったりする。

そんな人達の中で、「なんで、こんな事、やっちゃうんだろ~」って、私が不思議に思う時がある。

「自分で作った恐怖で、自分で苦しんでるんだよな~」と旦那様。

こういった時の旦那様の顔には、『厳しさ』と『寂しさ』が同居している・・・。
EDIT  |  02:10 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/19(Tue)

得意分野 

得意分野を忘れてはいけないなぁ~。

色んな事にチャレンジするのもいい。
違う、いろんな仕事をするのもいい。

「君は、君のやって来た事をわすれないように」と旦那様から言われて思い出す。

このままでは・・・とか、
何かかえたい!
と、思うと人は焦るものだ。

焦ると、自分の不得意な事が気になってくる。
そして・・・冷静になれないと、自分で出来ないその不得意な事の原因を自分の周りで探し始める(苦笑)

そんな時、実は「自分ができない事」を見つめているのにその事には気がつきにくい。

一人の世界に逃げ込む人も多い。
一人で勝手に(笑)作った、頭の中の世界は、不可能がない。
だから、逃げ込んだまま、出てくるのが余計に怖くなる。

あ~、周りにこんな人が居るわ~って思った人も要注意。

人なんて、違うようで、結構同じ様なもの。

うまく行かないと原因を外に探したり、
すぐにいい訳を探して、辞めてしまったり、
こんな自分は嫌いだといじけてしまったり、
自分だけ、何でこんなに大変なんだと思ったり、

誰でも、誰でも、うまく行かない時は「一度」は思う。
誰でも、誰でも、普通に持っている心の癖みたいなもの。

そんな状態から、抜け出す一番の方法は、自分の得意な分野を思い出す事。

残念ながら、「自分の得意な事」と「自分が今やりたい事」が一致していない時もある。

「本当にやりたい事にたどり着くためにはね・・・
やって来た事を捨てない事だよ・・・」と旦那様。

それが、自分の得意分野だと気がつけば、後はその先に必ずあると言うのだ。

「始めるまでも大変だけど、続けるのはもっと大変だわ~」と事あるごとに呟く私に、

「だから、これまで生きて続けてきた事ってわすれちゃ駄目」と旦那様がたたみかける。

時にずっとやって来た事の大きさや、大切さは身近なものだから、
自分にとっては「簡単に思える」だから、
そんなに大きな事に思えなくなる時がある。
「そんなの当たり前」って、思ってしまうのだ。

でも、違う経験をしてきた人にとっては、「凄い事」かも知れない。
それに「時間」と「経験」が詰まっていれば尚の事だろう。

得意分野をわすれてしまうって、何より自分にとって、損なのかも知れないな~。
EDIT  |  02:01 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/18(Mon)

数は力? 

教師時代に気が付いた事。
多数決で物事が決まるって意味ではない。
人を沢山集めた方が「勝ち」みたいな、単純な話でもない。

敢えて表現すれば、沢山の人が居れば、人の数だけ沢山の可能性があるって事かな~なんて思ってみる。

子供の数が減り続けて、学校でもクラスの数が減ったりする事がある。
一年生は、10クラスなのに、二年生は、9クラスといった具合。
全部で、10クラスあるから、1クラスぐらい減ってもどうって事ない!
・・・と思いきや、これが「違う」のだ。

うまく、説明できないけど、「勢い」が違う。
はっきりとした理由は分からないけど、それは他の先生も感じていた事だった。
「一クラス減っただけで、こんなに違うんですね~」って。

そんな事を肌で感じて、どうしてだろう・・・と思い続けていた。
別に特別な生徒があるクラスにいる訳でもない。

きっと人が集まると、自然とその中で役割みたいなものができて行くのかも知れないな~なんて、今でもよく理由は分からない。


けれど、人の数がある一定のレベルを超えると確実に「一人の人間の出来る事」が支えが無ければできなくなる。

これは、良い方向にもあまり好ましくない方向にも言える事なんだけど。


「人が集まると『生き物』になるからね~」と、旦那様。

団結して、ある一つの方向に向かい始めると、勢いが増して、数がモノを言う事もある。

同じように、バラバラになると、誰かが方向を修正したくてもなかなか修正できなくなってしまう。
何か分からないもっと大きな力が働いてしまう気がする。

学校や会社、社会という大きなコミュニティーに入った時、自分の思い通りに行かなくなる事なんて、山ほどある。
「どうして、こうなんだろ~」
自分の見えている視野が「自分」→「家族」→「会社」→「社会」って広がっていくと、「自分の思い」が通すべきか、そうでないかも変わってくるのだろう。

いつも全体が個人より優先する訳じゃない。
ただ、一つの生き物になってしまった「人の集まり」は、そんなに単純なルールで動いていないんじゃないかな~って思う。

「人は、自分の立場で勝手な事しか言わないからね~(苦笑)」と、旦那様。

自分の周りで起こっている「どうしてだろう?」って事。
すこし、引いてみると、何かがわかる?

それでも、わかる・・・保証はない(苦笑)

こんな時、「上に立つって大変」
「人の気持ちをまとめる指導者って偉大だわ~」って単純に思ってしまうわ。
EDIT  |  02:07 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/17(Sun)

引き寄せる力と・・・ 

数週間前、頭の中にふっと浮かんだ・・・。

「本を読まないと・・・」

「読まないといけない」という強迫観念みたいなものではなくて、
誰からか、「読みなさい」って言われた感じだ。

思い返してみれば、こんな感覚は昔からあって、学校に勤めていた頃にはとても簡単。学校の図書館に行けば、ちゃんと本が「読んでくれ~」って主張する(笑)

こんな感覚、誰にも理解してもらえないだろうな~と思っていたけど、旦那様に話すと、「そんなのいつもだよ」と平然と答えが返ってきた。

古本屋をめぐれば、「こんな貴重な本が何故、こんなところに」と、見つかったという事は、一度や二度ではないらしい。

さて、何を読むかな・・・。
と、考え始めた途端、私の周りには面白くて止まらない本が数冊、集まってきた(笑)
図書館という便利なものが身近に無くなって、どうしようと思う暇もなく、今度はどれから読もうかと迷うぐらいだ。

こんな時、ひょっとしたら、昔より「必要なものを引き寄せる力」が付いたのかも?
なんて、自分で自分の事を確認したりして(苦笑)


「運のいい人」の条件・・・みたいな事をこのブログに嘗て書いた事がある。

「必要な時」に「必要なもの」がやって来る。

「必要なもの」というのは、本だけとは限らない。

それが、「人からの言葉だったり」
(必ずしも耳に心地のいい言葉とは限らないところもミソ・・・苦笑)

強力なライバルの出現だったり、
信じていた人からの裏切りだったり、
ピンチとしか見えない実はチャンスに繋がる事件だったり、

自分の目の前に起こる様々な事が、「必要なもの」かも知れない。


私の周りに集まってきた本。
私はいつものように、4冊の本を同時に読み始めた(笑)
好きな時に気分の乗った好きな本を選んで、好きなだけ読む。
知らない内に付いてしまった、私の癖らしい。

この読み方には賛否両論あるかも知れないけど、こうやって読んでいて気が付く事がある。
表現も、題材も、場面も、人も全部違うのに、「同じメッセージ」が含まれていたりするのだ。

だけど・・・というか、難しいのは、読んで、「さて、どう活かすか」
って真剣には考えては居ないけど、こうした『共通点』が「今の私にとって、どんな意味なんだろ~」とか、ぼ~っと考えて見ると・・・

これが結構、難しい(苦笑)

つまり・・・

「引き寄せる力」が付いても「それを活かす力」とは、またまた別物だって事を時に思い知らされる訳で(涙)

それでもいいや。
少し、進んだ。

それで、「今回は、これでよし」としよう!(笑)
EDIT  |  02:35 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/16(Sat)

細かい? 

旦那様は細かい所には徹底して細かい(爆笑)

例えば、「いう」っていう言葉を私が平仮名で打っていると、
いう
言う
云う
謂う
って、ちゃんと全部使い分けて、訂正する(笑)

「え~。どう違うの?」と言う、私に、

「これは、こうで、これは、こう・・・(内容はちゃんと覚えてない・笑)」と詳しく説明してくれる。

あはは、私は辞書が要らないわ~。

テレビを見ていて、「今日~で、放火がありました」という表現には、とても敏感に反応する。

「それは、『放火』ではなくて、『付け火』だ」

いつものように(苦笑)「どう違うの?」と聞く私に、いつもの様に丁寧に説明してくれる旦那様。

「放火はね、『火を放つ』って書くだろ?昔、矢の先に火を付けて、放ったんだよ」
と旦那様。

その時、私の頭にある映像が浮かんだ。

「あ・・・、きっと、昔、昔、火を放った事があるのかも・・・」

だって、それは昔の闘い方の一つだもの。


言葉には、人の歴史が刻まれている。
その使い方が変わった時、『変化した』と取るのか、『乱れた』と考えるのかは微妙だ。だけど、その言葉と一緒にある歴史を考えると、どうしても受け入れられない『変化』があるのも分かる気がする。

「ケルト語はね、乱れないんだ・・・だって、もう今や誰も話さないから」

人に使われて変化する。
人に使われ乱れる。
きっと、どちらも同時に起こっている事かも知れない。

細かい、細かい所まで気を遣う旦那様は、
「文章って自分を表現する一つの方法だからね、妥協したくないんだ」と言う。

そんな旦那様の横で、細かい事は気にしないで、文章を書いている私はかなりの大物だと思う(爆笑)

「だから、いいんだ。君って人間が出ている」

って誉められているのやら・・・(苦笑)

どちらにしても、旦那様は自分の文に対する程は、人の文や言葉の使い方には厳しくないらしい・・・と、油断していると・・・

「ここの漢字だけどね・・・」

「あ!ごめん、訂正します!」

もう少しは、私も自分の文に対しては、細かい方が良いらしい(笑)
EDIT  |  01:54 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/15(Fri)

岐路 

どちらにするかって真剣に考えれば考える程分からなくなる時がある。

例えば車を買い替えるべきかどうか。
確かに新しい車は燃費がいい。
ハイブリッドとなれば、もっといい。

妹と二人で、買い替えたらどのくらい特か計算した(暇な二人~笑)

一日にどのくらい乗るか。
買い換えた車のローンをどのくらいで返すか。
返済するまでにガゾリンの値段って今のままかしら?
その頃には、今程、車が必要じゃないんじゃない?

子供を学校に送り迎えするのに主に使っている妹。
数年ごとに車を使う頻度も変わってくる。

・・・結果・・・

買い換えた方がいいか、どうかよく分からなくなった(あはは)



両親がアパートを立て替えるかどうか迷っていた。

これからお金を借りて、何年で返すか。
その間にお金の価値って変わるかしら?
立て替えたらきれいになるけど、返済する頃には又、立て替えなきゃ。

・・・結果・・・

こちらも同じ、どちらがいいかよく分からなくなった(もう一度 笑)


大きな岐路に立った時、人はどちらに進むか悩むもの。

「やるか」「やらないか」

そして、過去に思いのある場合、失敗した時は必ずと言っていい程、後悔する。
「あの時、こうしていれば・・・こんな事に成らなかったのに・・・」

でもね・・・
よく考えると、そんな保証はどこにもない。
やっぱり、同じように「こうしていれば・・・」って思っていたかもね~(苦笑)

つまりは、どちらに進んでも、考え方が同じなら、感じる事も同じだという可能性がとても高いって事。

だって、何にも問題がおこらない「天国」みたいな(天国に問題がないかどうかしらないけど)場所があったらいいけど、そんな場所、あったら知りたいわ~。


岐路に立って、決めたら、進んだら、
迷わない事、
過去に生きない事。

よく旦那様と話をする。
「今の考え方があの時出来ていればな~って一瞬思うの」

「僕もそう思う時があるよ」

「だけどね・・・あの時の私にはあれが精一杯だったしね・・・」

やっぱり旦那様がよく言うように
「今」を生きるしかないのだと思う。
EDIT  |  02:41 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/14(Thu)

悟ったら? 

お釈迦様の一生っていう本を読んでいた。

「お釈迦様は悩みました」という一文で「え?」と止まる私。

「お釈迦様でも悩むんだぁ」という私に

「当たり前だろ(苦笑)」と苦笑いの旦那様。

「悟ったら、悩みって無くなるのかと思ってたわ」
あくまでも、いつまでも、素人の感覚を忘れない私は凄い(あはは)

「そんな訳ないだろ?
大体、悩んでいるレベルが違う」

ああ、そうだわ・・・
英語の宿題をどうしようとか、
どうやって、部屋を片付けようとか、
もっと深い悩みだと自分で思っている事だって、きっと見る人から見れば大した悩みではない。
私なりには、結構真剣に悩んでいるのは確かだけど。

「悩みに、大小はないよ。
ただ、レベルはあるかもね・・・」と、旦那様がもう一度繰り返す。

「悟りってね、そんなに遠くにあるものじゃないんだよ。
そうやって、今の自分の姿を見て、何かが分かるのも悟りの一つ」

仏様の様な姿にならないと、悟ったとは言えないと思い込んでいた私に旦那様が言う。

「自分ってこうなんだ・・・それだけで一つの悟りなんだ・・・」

「そうだよ。そのずっと、ずっと、先に仏様の悟りの世界がある」

つまり、「今」の自分とちゃんと繋がっているって事。
どうやら、ワープして、一速飛びに「悟る」って訳には行かないらしい。

「その方法が無い事はないよ(微笑)
でもね・・・普通は、辞めておいた方がいいと思う」と意味深に言う旦那様。

まあ、「今日も、つまらない事で悩んだなぁ」と分かるだけで、「悟っている」のなら、こちらの方が今の私には無難だ。

という風に自分の事が分かるって・・・
少しは、「悟って」、近づいているのかなぁ・・・

でもね、同じ事を分かっていて、繰り返してる。
これって・・・「悟った」って事にはならない(涙)

道は遠いのだった(笑)
EDIT  |  03:14 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/13(Wed)

危険を避ける極意 

もしも、誰かに腕を掴まれたら?
もしも、誰かに襟を掴まれたら?

あまり危険な目に会わずに来た私は、最初の頃、そんな事を真剣に考えている旦那様を見て、「空手をやっているのに、どうしてそんな事考えるんだろう?」と思ってた。

でもね、考えて見れば逆。
危険な目に合わないと、身の護り方なんて真剣に考えない。

「格闘家なんてね・・・元々怖がりなんだよ」
と云う旦那様の言葉を思い出したりして。

空手をやって、世の中にどんなに強い人間がいるか知っているから、
だからこそ考えるって事もある。
だから、旦那様と同じ様にやっている人がこんな事を旦那様から教わる時、
初心者よりも師範や、黒帯の人達の方が、むしろ目が輝いたりする。

「人間の体は、幾ら強くなっても、動けない方向がある。
幾ら強くなっても、ここをちょっとでも打たれると動けなくなるんだよ」

あれ程、つよいK-1やプライドの選手が一瞬にして倒れてしまうのを見て
「どうして?どうして?何が起こったの?」と質問する私に旦那様が呟く。


いつも、いつも「今、人が襲ってきたらどうしよう・・・」
って考えている旦那様や師範。
痛い目にあったり、ここはどうしようもないという場面に立った事のある人の真剣さ度合いは全然違うと感じる瞬間でもある。


分かる人から見れば、絶対に「襲ってはいけない人達」(爆笑)
襲うつもりが、きっと逆にぼろぼろにされるだろう・・・。
命知らずとしか言い様がないわ~。

危険な目に会ったら、これを使って・・・って考えていると思いきや!
「危険を避ける極意は・・・・」

どうやって、闘うんだろう?と目を輝かせる空手初心者に師範が言う。
「第一に、危ないところに近づかない事です」

あら?

旦那様が付け加える。
「そう、それで逃げられると思ったら、走って逃げなさい」

これが第二の極意だそうで・・・(苦笑)


「闘うなんて、無駄な事しない方がいい。
どうしても逃げられない時の話」・・・らしい(笑)

じゃあ、何時さっき習った技は使うのよ~なんて野暮な質問はなしにして、
(後で聞いたら、空手の基本のちょっとした応用にすぎないらしい・笑)

「怖い、怖いと思ってばかりいても、返って危険を呼び込むんだ」

怖がりすぎても駄目って事だろう。
そして・・・
いざとなったらを知っているのと、そうでないのは、きっと何気なく歩いていても違うはず・・・。

練習とは言え、そう云う人達を目の前にした時の「怖さ」って・・・。

ああ、表現できない(笑)
走って逃げるに越した事はない!
EDIT  |  11:28 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/12(Tue)

やっぱりある? 

ある家によく起こる事ってやっぱりあるのかしら?

今日もそんな話を聞いた。

兄弟、姉妹、誰もがなかなか結婚できないとか。
家の中で問題が起こり易いとか。

そんな話を聞いて思い出した。
ずっと昔の妹の言葉。
「親戚とか見回してね・・・因縁があると思うの」

そんな事がわかる感覚や「因縁」というものがどういうものか深く考えなかった私は、「ふ~ん。そう言われてみれば、そうかも知れないけど」とその当時は思っていた。

しばらくして、本当にそんな事があるのかも知れないと感じ始めた私は、
「もし、そういう因縁があるのなら、どうしたらいいのかしら?」と漠然と考え始めた。

そして、先に結婚した妹に子供が生まれた時に真剣に思った。

「もし、悪い因縁があるのなら、私の代で消せるものは消さないと・・・」


色んな家族を見ていて思うのは、やっぱり「血」は「水」よりも濃いって事。
いい因縁もわるい因縁も、自然な法則で引き継がれる。

勿論、そんなに簡単に解消するばかりのものではないかも知れない。
でもね・・・
生まれたばかりの妹の子供を見ていて、純粋にすくすく、自分の力で育って欲しいと
親でもないのに真剣に思った。
本人の成長に必要な試練や、苦労は、あっていい。
だけど、これまで積み残した先祖の分が無ければ、きっと、そうなってくれると思った。

そういう因縁を解消するプロセスの中で初めは、
「何で、こんな因縁を残したんだろ?」ってモードだった(苦笑)
でもやり始めて分かったのは、その先祖にも苦しみはあり、事情はあっただろうと言う事。


「これは因縁だから仕方がない」

それをいい訳にしてはね・・・

だって、この中で一番変わったのは、誰より「私」だったと思うから。

生まれたばかりの赤ちゃんと、亡くなって会う事も無かった先祖からの教え。
今でもそれは続いている。
というか、一生続くだろう。

ちゃんと、受け止めて行くって覚悟したら、ちゃんと分かる事がある。

その因縁に気がついたある人が、
「気がつけてよかった。
解消できる方法があるって事が幸せだと思います」って。
大変だろうな~。
けれど、その通りだと思った。

「因縁って言葉はね・・・こうすれば、こうなるって法則なんだよ」と、旦那様。

「そして、その法則は、いつでも変えられるよ。

  変えようと思えばね」
EDIT  |  02:46 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/11(Mon)

敵と味方 

戦国時代のドラマや007とかの映画を観て思う。

「ああ、誰が敵か味方かって、すぐにはわからないわ~」

自分にとって心地よい事を言ってくれる人。
自分にとっては、『敵』の言葉としか思えない事を言う人。

表面の言葉だけでは、自分にとっての「敵」「味方」は簡単には判断できない。

意図的に言葉を使っている時もあれば、無意識に使っている言葉。

よくよく観ないとその言葉の本当の意味はわからない。
時間が経たないと分からない本当の意味もある。

味方と思っていた人間に裏切られたり、
敵と思っていた人間に助けられたり、

「本当に敵なんてそんなに沢山いるわけじゃないんだけどね・・・」と旦那様。

敵や味方を作りだしているのは、自分自身だったりもする。

映画やドラマではちゃんとしたプロットがあるから、敵や味方にはっきり別けて人間が描かれているし、「敵」を作らないと、筋がぼやけてしまうという別の側面もあるのだろう。

実際、今、生きている「私」の周りに「敵」が居るかな・・・
ふと、そんな事を考えて見る。

「・・・いないじゃん・・・(笑)」

まあ、時と場合によるけど、滅多に現れない。
そんなに長くない人生を振り返っても「ああ、あの人は敵だった」と今でも思っている人は・・・いない・・・

受験の時に隣に座っている人だって、一緒に受かれば「敵」ではない。
その人に勝たなければ、受からない訳でもない・・・(笑)

逆に、必死になって、不安になって、周りを見ると、皆が「敵」に見える時がある。

・・・って事は「敵」「味方」を作りだしているのは自分?

「その通り!」と旦那様が隣で言う。

「それにね、誰かを敵だと思うとね、相手も敵だと思い始めるんだ」と付け加える。

本当に闘うべき『敵』を間違えると、周りを敵だらけにしてしまう事にも・・・。


じゃあ、周りをみんな「味方」にしようとすれば?
「味方にしようと頑張れば、誰か敵を作る事になる」と旦那様。

あらら・・・禅問答だわ~(苦笑)

「だって、味方につけようなんて事を元に行動してたら、そのうちつじつまが合わなくなるもの」

「敵」か「味方」か・・・
そんな判断自体が意味がない事に気がつく。

「そうだよ・・・自分が自分らしくいればいい。それだけ」

それだけ、って言われてもね・・・
それが一番難しいのに(涙)
EDIT  |  01:35 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/10(Sun)

わからない事 

何かを考える。
色んな視点から考える。

どれが一番いいのか。
どれが一番正しいのか。

そんなプロセスも大事だなと思う。

けれども同時に「今の自分にとって分からない事はわからない」とも気がつく。

「分からない事がある時、人はいろんな反応をするんだよ」と、旦那様。

昔の私は、分からない事があると必死になって答えを探した。
「自分にわからない事がある」という事がどこかでとても不安で、
それ自体がやがて、考えれば考えるほど、恐怖になってしまう。

その事さえ、気がつかないでただ、「絶対に、探さないと!」と力が入る。


そうやって、悩んだり、考えたりしている人の姿をジッと観察してみる。

「結構、同じだな~」

分からない事は、本能的に「恐怖」になる。
努力をする人は、それを乗り越えなくてはと思う。
どこかで「自分に分からないことがあるはずがない」とも思っている。

気楽に「あ!わからないからいいや」ってあきらめる人もいる。

どれもその本人にとっては、必要なプロセス。


例え「答え」を知っている人が「答え」を教えてくれても、
本当の意味で、「わかる」というには、程遠いかも・・・。

教えていても思う事。
教えてもそれを受け取るかどうか、わかるかどうか本人次第。
本人にとって、今は、無理な事もある。

だから、今の私にわからない事の答えを必死で探しても、
答えを教えてもらっても、今の私には分からない事があるって思ったりする。

「分からない事」をそのまま忘れるのではなくて、分かるまで置いておきなさい。

旦那様からそう言われて、しぶしぶ(笑い)そうしてみる。

そして、全く違うことをしている途端に・・・「あ!そうか!」

だから、分かるまで時間がかかるものは、時間をかける事にしよう・・・。

「分からない事がある」って忘れなければいい。
「いつか分かる」と思っていればいい。

もっと、本当の意味で「知らない事」「分からない事」が分かるまでのプロセスが
焦らないで、楽しめるように、なりたいな~。
EDIT  |  09:30 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/09(Sat)

強くなる 

「『先生は強いですね・・・』とよく言われるんだけど」と、旦那様。
肉体的にも精神的にも両方という意味らしい。

昔からそんなに体の強くなかった旦那様は空手で肉体的な「強さ」を必死で追求した時期があったらしい。
勿論、今でも空手は大好きで、今度は指導をする事をメインに続けている。
(というわけで、とうとう私も空手を始める事になった)

私が見る限りでは、肉体的な強さより精神的な強さの方がずっと大きいと思っている。
その感覚は、ある意味私と同じで「思えば、できる!」と100%信じる事が出来るところから来ている。

「その強さだって、昔からあった訳じゃないんだよ」と旦那様。

苦しい事があり、悩む事があり、それにちゃんと向きあって来た旦那様。
その中で「強さ」が気がついたら身についていたと言う。
だから、弟子が何かで困ると、
「悩め、悩め、悩んで強くなれ~」と心から応援している。

鍛えるには、本人がやるしかない。
筋肉を鍛えるのに変わってあげられないのと全く同じ。
精神を鍛えるにも自分で超えなくてはならないものがある。

それでもいつか「自分の為に強くなる」のには限界があるとも言う。

「誰かの為に・・・と思って頑張る。
その時に始めて、本当の意味での強さが身につくんだよ」

逆に側で見ていて、「この人はもう少し強くなった方が・・・」と思う人に共通している事。

それは、自分で自分を信じて居ない事。
出来ないかも知れないって所から、物事を始めてしまう事。

「出来ないって気持ちで始めるとね・・・何かある度にその出来事を責任転嫁してしまう事が多いんだよ」

旦那様は口癖のように言う。
「絶対に、道はある。否定論はなし!」
「誰が悪い、あれがない、と言っている暇があったら、どうやればできるか考えないと」

ある事を始めて、トラブルが起こったり、障害があったり、そんな事は当たり前。
それを、どう乗り越えるか。
それを考え、経験し、ある時は間違って、それを修正し、そんな中で強くなって行く。

「今、自分ができる最大の事をやる」
こんな姿勢で毎日生きていたら、いつ幕が閉じられてもきっと後悔はない。

「私の人生に不可能はない」に付け加えて、
「私の人生に後悔はない」

座右の銘にしようっと!・・・(笑)
EDIT  |  03:00 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/08(Fri)

信じる?信じない? 

ダビンチコードの作者ダンブラウンには第一作目がある事は有名だ。
次に映画化されるのはこれだろうと言われている。
「天使と悪魔」
偶然、本屋で見つけて買ってきた。
さて、読んで見るか・・・
軽い気持ちで読み始めたけど、結構、内容が深い。

もう読んだ人も居るかもしれないが、メインの舞台はバチカン。

科学と宗教と言う、世の中では対極にあるものが扱われている。
そこに人間の歴史がエッセンスとして足される。
主人公は、ダビンチコードと同じハーバード大学の宗教象徴学教授であるロバート・ラングドン。

まだ途中だけど、その中で、彼が優秀な若い女性の科学者にこう質問される。
'Do you bilieve in God, Mr. Langdon?'
「ラングドンさんは神を信じますか?」

彼の答えは、
'I want to believe.'
「信じたいけど・・・」
この後、自分が感じている事を話す彼。
「聖書や古文書には、こうしなければ、地獄に行くと書いてあるけど、そんな風に神は世界を治めているとは思えないんだ」

彼女は笑いながら、その答えにこう返すのだ。
「私は、誰かが言っている事を信じられるかどうかって聞いたんじゃありません。
貴方が、信じられるかどうかって聞いたんです」

本当の文はもっと長いけど、要約するとこんなとこかしら?

なるほどね・・・

この部分だけでもいろんな事に気づかされる。
ラングドンは文書を読み解くのが仕事。
だから、神を信じますか?という質問にも、その視点から答えてしまう。

自分の専門って大切だけど、それにとらわれるって逆な事も起こってしまうのね~。

それに、人から「~だよ」と言われたり、書いてあるものを読んだり・・・
これも知らない内に、それだけが「何か」を理解する方法だと思い込んでしまう。
人が言ったり、解説した事だけ「批評」「分析」して、おしまい!になってしまいがちだわ~。

最先端の科学を追及する彼女は、逆に神を信じているかどうかを聞かれる。
「私は・・・宗教って、身にまとう洋服や使っている言葉と同じだと思うんです」

この言葉の意味がよ~くわかるには、この本を読み終えるしかないだろう。

いづれにしても沢山の発見がありそうなこの本。
ああ、また他の事をほったらかしにして本を読んでしまう自分の姿が目に浮かぶ(苦笑)
EDIT  |  03:19 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/07(Thu)

わっかるかな? 

昔、「わっかるかなぁ~、わかんね~だろうな~」ってCMがあった。
これを知っているだけで、年齢がばれるけど(爆笑)

旦那様がブログや掲示板のレスを書きながら、よく呟いている。
「わかるかな~。
分かる人にしか、分からないよな~」

まあ、言葉どおり考えると当たり前(あはは)


よく、書き込みしてもらうメッセージには、
「あまりにもシンクロしているので・・・」と書いてもらう事も多い。
そんな時、分かる人には分かってもらえているのだと嬉しくなる。

逆に、分かるどころか、その通り!と叫びたくなるものに出会えるのもこうしたブログなどのツールの有難いところでもある。

いつも旦那様とは直で話をしているのに、旦那様のブログを読んで、
「そうなんだよな~」「その通り!」なんて呟いている私。

それを聞いた旦那様は、
「当たり前の事を書いているだけなんだけどね」

「いや、その当たり前の事ほど、凡人には見えなかったりするのよ~」と返す。

「確かにね。シンプルな言葉ほど、実は難しかったりするしね」

人は、受け取っていると自分で意識しているよりもずっと、ずっと、沢山のものに囲まれて生きている。
だから、そのまま何も意識していないと、これまた意識しない内に混乱してしまう。

そう言う私自身、よくこの混乱状態に陥る(笑)
何が正しくて、何が間違いか。
良く良く考えるために、色んなメッセージを受け取ると余計に混乱してしまう。
まるで、夜のラジオみたい・・・
夜のラジオって、電波はよく入るけど、チューニングが難しい。

「わっかるかな~」っていうものが分かる様に常にアンテナを張る事も忘れたくないもの。
それでもって、それを自分で生かす、自分を振り返るって戻ってくるまでが一連のサイクルなのだろう。

「沢山の人が『私の事だと思いました』ってブログを読んでくれるんだ」という旦那様が付け加える。

「残念な事にね・・・一番分かって欲しい人にはアンテナが立ってないらしい(苦笑)」

う~、どうすれば、いいの?

「後は、本人次第だからね」

こういう言葉を聞いた私が、時にアンテナの感度が高すぎて混乱に陥る・・・って状態・・・わっかるかな?(笑)
EDIT  |  02:16 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/06(Wed)

本当の原因 

旦那様が相談の内容を聞く。
相手の話をじっと聞く。

「こうなって、こうして、これが原因だと思うのですがどうしたらいいですか?」

相談をしている方も事情を一生懸命伝えて来るのだけど、時々旦那様は考え込む。

「いや、どうもつじつまが合っていない・・・」

話の筋が通らない・・・そこには何かがあると「匂う」らしい。

「もう一度、話してみてください」

そんな時、旦那様は、もう一度、どこでおかしくなったのか、何が原因なのか、じっくりじっくり観る。

表面上、一見「筋」が通っていると思われる話でも旦那様のこうしたアンテナにかかってしまう。

一緒になって、感情的になって、「それは大変!」「どうしましょう!」なんてあわて居れば、きっと気がつかない様な事。

でも、もう少し距離を持って、じっくり眺めて見ると、
「ああ・・・おかしいわ」と気が付く。

簡単に「距離を持ってじっくり眺める」と書いたけど、これって結構難しい。
「普通に考えるとこうなるはずという予想」と「人の感情が入ってゆがめられてしまった事」に気が付くのは思っているより大変なのだ。

まるで、自分から左に見える建物が、
もっと離れた所から見ると「左」とか「右」とかでは表せない位置にあるとわかりなさいと言われているのと同じかも。

「自分」からだけモノを観ると、絶対に「左」にあるのだ。
だから、本人は「左」が正しい方向だと思い込む。
だけど、それはもっと遠く離れて観ると、そんなに単純には表せない。

本当の原因を探し出す鍵は、どうやら「問題」を距離を持って観る事にあるらしいと発見!

突っ込みすぎる私には見えないはずだわ~なんて、今更納得してみたりして(苦笑)

何が原因かをみ間違うと、それに対して自分がとる姿勢も当然間違っている可能性があるわけで・・・。

今まで、こんな間違いをいくつ犯しただろうと考えるとぞっとする(あはは)
だけど、こうやって、客観的にモノを観るというのは訓練で身に付くものだとも思う。
いくつもの相談を側で聞きながら、ああそうだったのかと自分の見る方向の狭さや方向に気が付きながら、広げていけばいいだけの話だ。

「自分が正しい」という「自分」だけを基準にして考えるときっと永遠にこの視点は身に付かないとも思う。

自分にとって「左」にあるものが、相手にとっては「右」にある。
そんな単純な事を近すぎる視点だけで見ると見えないものだと・・・

修行中!(笑)

修行にレベルがあるのなら、これって結構、高いレベル?

「当たり前だよ、そんな事」
聞かなくても、旦那様からそんな返事が返ってくるわ~ってわかる(笑)
EDIT  |  03:12 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/05(Tue)

筋 

「何でもいいよ、大した事ない」と殆どの事に答える旦那様。

私には勿論経験が無いが、命を落としてしまうような経験を何度もした旦那様が言うから、大体の事は、きっと本当に大した事ではないのだろう。

「大丈夫、死にはしないから」と言う旦那様の言葉に皆が「そうだった・・・」と思ってしまうのもそのせいかも知れない。

その旦那様が「これだけは・・・」と言うものがある。
それは、物事の「筋」

これだけには大変、大変、うるさい(笑)

初めの頃は、「筋」にうるさい旦那様を見て、「どうしてこんなに気にするんだろう?」ってのんきに考えていた。

どこに物事の「筋」があるのかって事、それ自体が結構難しいけど・・・。

ウソのような本当の話だけど、私は、「筋」を違えると何が起こるか、ドラゴンボールで学んだ。
最後の最後まで見た事のある人は、何が起こったか知っていると思う。

ドラゴンボールにお願い事をして終わりじゃなかったのね~。
単純にそう思ったけど、お願い事って「筋」をある意思で変える事だったとも気がついた。

だから・・・(って言うのが良くわかる為に、ドラゴンボールを見てください!)
「筋」を変えるには、本人の意思って大きく関わっている。
「このためにだったら、こうします」って、結局はお願い事と共に宣言しているのと同じなのだ。

「だからね、いくら僕ができる事でもちゃんと本人が頼まないとやってあげられないんだよ」と、旦那様。

そして、逆に「頼んだ」という事に「筋」が通らない事があると、それは敏感になる旦那様。

世の中は普通に動いている・・・って当たり前。
だからこそ、その流れには意味がある。
そして、その流れには「筋」がある。
その筋を変えるには、それなりの覚悟が必要だ。

世の中の「筋」や「覚悟」が無い限り、簡単にお願い事をするのは止めておこう・・・って、こんな時思う(苦笑)
EDIT  |  02:34 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/04(Mon)

普通って何? 

最近の・・・というか殆ど、毎日繰り返される旦那様の口癖は、

「普通に考えれば分かるだろ?」

まあ、普通だと思われ無かったとつぶやく(笑)旦那様から、こんな言葉を聞いても、聞いた側がフィルターをかけてしまうのも仕方ないかも知れないけど、普通は普通だとその内容を聞いて納得!を繰り返している私。

「先祖の供養って・・・どうやったらいいんですか?」

今まで、自分がココに居る事の不思議を当たり前にする、つまり「自然にする」一つだと今は思っているけど、いざやるとなると頭で考えてしまうのが、旦那様に言わせると「普通じゃない」事らしい(爆笑)

「なにも特別じゃない、普通にやればいいんです」

頭で考える人は、ここで???と止まってしまう(あはは)

「朝起きたら、お早うございますって言うでしょ?
おいしい物を食べる時は家族みんなで食べるでしょ?
それを普通にやればいいだけ」

「でも、私は祖母や祖父に会った事は無いんです」

「会った事が無くても、会った事があっても、貴方におじいさんとおばあさんがいた事は確か。だって貴方がそこにいるもの」と、旦那様。

そう言われて見れば・・・
先祖の誰か一人居なかっただけで、私はここに居なかったかも知れないと思うとね。
繋がっている・・・と思い出したりして(遅すぎ!)

「普通に、家族に話しかけるように話しかける・・・それで充分」

供養と言うと、とても特別な事をしなければならない・・・って感覚、どこから来たのか分からないけど、こう考える方が「きわめて普通」。

ああ、本当に「普通」って事、他にも沢山忘れていそうな気がしてきたぁ。

と思って、気にし過ぎる事も「普通でなくなる」事に繋がっていたりするわけで・・・。

いやいや、なんと「普通である事」の難しい事と嘆く私に旦那様は一言、

「簡単、簡単、力を抜いて、ぼーっとすればいいのさ」

こんな言葉を聞くと、
「先生の言葉は宇宙語です」という弟子の言葉が良く分かったりして(あはは)

まあ、でも試しにやってみようっと!
「普通ってなんだろう?」って必死に考える事じゃなくて、力を抜くこと。

思っているよりこれって、結構、難しい(涙)
EDIT  |  01:50 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/03(Sun)

何でも会話 

最近の旦那様の口から一番でるキーワードは「会話」

自分で「言葉にしているから大丈夫」と思っていても、会話をしているかどうかは別問題。
それに自分の身の周りのものって、もっともっと会話すれば使い易くなるという。

一番分かり易いものの一つは「車」かな?
今日乗せてもらった車は、私の車ではないけど、
「あちこち痛いんだ。ここも、あそこも、痛い、痛い」と走っていた。
ちなみに、旦那様の車はこの所、ちゃんと定期的に乗るのでご機嫌で、
「走っちゃお~。イ~ン」ってきわめて快適。
しばらく前に忙しくてなかなか乗れなかった時は、旦那様を呼びつけて、
「ちょっと、あんまり乗らないと動かないからね!」と、ストライキを起こしてた(笑)

家も同じだ。
住んでいる人が家と会話をすると、快適な空間になる。
そう言えば、ロンドンの妹の家はとてもはっきりした「意思」を持った家だったな~。
古いと言うのもあるけど、とても頑固で、誇り高い・・・
そんな感じが伝わってくる。
あちこち、修理をしなくてはならないと言う妹に旦那様は、
「家と仲良くしなさい。その家は、仲良くしたら、守ってくれるから」

空き巣などのとても多いロンドンだが、未だに一度も入られた事が無いという妹の話に、「あの家は、他の人を寄せ付けないからね」と旦那様。

一時、「呼吸する家」というキャッチフレーズで家を売り出していたと思うが、旦那様によると、どの家も呼吸しているらしい。
今日、旦那様と一緒に行った家は、気道はあるけど、そこに空気が通りにくく成ってた感じがした。
「気道を確保しました!」という感じかしら?

溜まった空気は、見えないだけに気がつきにくい。
だけど、人は目だけでものを感じているのではない。
よどんだ空気が体に堪えるのは当然の事。
それも自覚がないうちに少しずつ影響する事もあるから余計に厄介だ。

家も車もこちらが会話をしないと答えてはくれない。
話しかけても答えを返してくれない人と会話できないのと一緒だろうな~。

「会話は基本」と言い切る旦那様。
だから旦那様のモノ選びは、じっくり時間をかけて、会話が出来るものが見つかるまで探す。
見るだけで買わないで帰ってくるなんて著中ある事(笑)

それを使うだけの私は、のんきに(笑)「使いやす~い」と恩恵にあずかるだけ。

でもね・・・結構大変なのよ私も。
見つかるまで、お店をはしごするなんて当然!って事になっているから(笑)
EDIT  |  02:14 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/02(Sat)

伝わってくるもの 

旦那様に相談の依頼があると、本人より先に「思い」が伝わってくる。

内容は詳しく聞いていないのだから、何でどんな風に悩んでいるのかは分からない。
けれど、どのくらい悩んでいて、どんな気持ちなのかは不思議と伝わってくるのだ。

「どんな小さな悩みも本人にとっては大きな事なんだ」

伝わって来たものが時に体に堪える時、本当の意味で実感する。
そして、伝わったものを実感する事である意味、本気でどうすればいいかって考えてしまう。

「こんな感覚がある人は、伝わってくる人の気持ちを大切にしなさいって事なんだ」

相談して、悩みを解決する相手が生きている人であろうと、霊であろうとそれは全く同じ。

本人なりの悩みや苦しみ。

何で、どんな理由で悩んでいるという事を詳しく聞く必要の無い時だってある。
色々あったんだろうな~って思うだけで、相手の気持ちが軽くなる。

「どうして、こう思えないんだ」
「どうして、成仏しないんだ」
「早く、次に進めばいいのに」

こんなモードでは、相手も心を閉ざしてしまう。

そう思えない、成仏できないにはそれなりの理由があるのだろう。
その理由さえ、「こんな気持ちでいたのね」と語りかけるだけでフッと軽くなるのだろう。

今日もそんな経験をした。
私に伝わってくるのは、「悲しみ」と「寂しさ」
どんな理由かよくは分からなかった。
そして、そんな理由を分からなくてもそれは解消される。

どうしても「次のステップ」が分かっていると、「どうしてこうしないんだろう」という考えが頭に浮かんでしまう。

悩んでいるぐらいなら、こうすればいいのに。
考えているぐらいなら、今すぐやればいいのに。

これって、よく考えると「教師癖」の一つだわ~。

人の心が分かっても人の心を動かすのは別の話。
伝わって来たものをどうするか・・・

それが一番の私の今の課題だ。
それに公式がないのも知っている。

「ちゃんと心で感じればわかるよ。頭で考えるからさ」と旦那様。

伝わって来たものを頭で考えても本当に分からないもの。
頭を使うのにも努力が必要だったけど、
勝手に動き始める「頭」を止めるにも、「努力」は必要かもね。
EDIT  |  01:53 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

2007.06/01(Fri)

巨大図書館 

イギリスに留学していた頃、ケンブリッジ大学を訪れたことがある。

連れて行ってくれた友人が話してくれたが、大学の一番の悩みは「本」の貯蔵場所だそう。
毎年莫大な量の本が出版され、沢山の本を分類して保管する・・・
ああ、考えただけで大変な作業だ。

新しく建物を建てるわけにも行かないらしく、どんどん地下に部屋を作っているらしい。

「本を増やすのはいいけど、どうやって探すのか、探せるように分類するのも又大変だ~」とその話を聞いて思ったのを思い出す。


どうやって学んだのか知らない(笑)が旦那様の頭の中は巨大図書館に似ている。

「~について知りたいんですけどって質問されてもね。
具体的じゃないとどう答えていいか分からないんだ」と旦那様。

そうそう、インターネットの検索エンジンでキーワードの入れ方によって答えが見つかり易かったり、なかなか見つからなかったりするのにも似ている。

とにかく、頭の中の情報量が多いのだ。
って言ったら、

「いいや、何時でも何かが入ってくるように、からっぽにしてある」
と返事が返って来た(あはは、そうとも言える)

図書館やネットで自分が知りたい答えが見つけられるのにキーワードが必要なのと同じように、旦那様に質問するにはある程度きちんとした方向みたいなものが必要だなぁといつも思う。

「私の未来はどうなるのでしょう」なんて質問。
してもいいけど、
「う~ん、明日、今日と同じように朝目が覚めて・・・」なんて答え(爆笑)
聞いた人の顔が目に浮かぶわ~(苦笑)

実は、こんな答えの中にも本人に対するメッセージは含まれている。
「今の貴方のまま何の変化もなく、明日を迎えます」って事とかね(笑)
明日を迎えられる保証ではなくて、「変化がない」という意味でね。
大変厳しいいい方をすれば、「自分は変わらないで、どう周りが変わるでしょう」って聞いているのと同じ(苦笑)

質問の仕方には、やり方があると思う時でもある。

先日、ある人が相談に来た。
多分、本人なりに沢山の小さな悩みを抱えていたんだと思う。

でもね・・・一つ一つ質問する変わりに、普通の事を普通に話している内に自分が持っている悩みなんてどうでもよくなったらしい。

「何にも、具体的な相談もしないで、大丈夫ですって帰ったよ」

そんな解決法もある。

答えなんて、一つじゃないものね。
答えがなくても解決する事もある。
一つのモノの見方が全部を解決してくれる事もある。

巨大図書館から、何を引き出すか。
それは初めはそんなに簡単じゃないかも知れない。

だから、ゆっくり、リラックスして、自分の方向を見つける事から始めればいい。
何気ない話の中にそんなシグナルを人は自分で出しているもの。
気がついていないのは、本人だったりする事も多いな~って思う。
EDIT  |  02:28 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
 | BLOGTOP |