2010.03/31(Wed)

【だんな様は霊能力者】 正しい事は変わる・・・だから・・・ 

責任を持って何かをやっていると、
「どちらも正しい」「正しいことは変わるのよね~」
なんて言ってられないときがあったりします。

大体、上司が、「う~~~んどっちが正しいかな?」
なんて迷っていたら、後についていく人たちは、
余計に迷ってしまうなんてことになりかねませんもの。

どこかで、腹を決めて、
「色々あるが、これが今は正しい」と言い切る、
信じるしかないのです。

どうせ決めるなら・・・するもしないもしっかり決めないと、
その不安な気持ちが、引き起こすことの方が、
決めたことより影響が大きかったりします。

いつか、ブログに書いた事がありますが、
担任していた生徒の進級なんてその最たるもので、
このまま進級しても、問題はあり、
進級させなくても、問題はあり、
どちらもリスクはあるのですから。

よくこうしたことを考えて進むときに、
迷いがふっきれた私を見て、だんな様が
「君らしい・・・(笑)」と言うことがあります。

「だって、やってもやらなくても結果はわからないんでしょ?
だったら、やるしかないじゃない!」
という私には、まあ、やって起こることは、
自分が決めた事だから仕方がない!
甘んじて、受ける!と思えたりします。

でもね・・・実際にやって、何が起こるかは、
やる前に想像していることとは、それこそ
全くレベルが違っていて、苦笑いってことも
少なくありません。
「こんなはずじゃあ・・・」なんて、思うのが普通かも。

でも、経験上ですが、ここが「やったほうが良かった」と
思えるための一番の分かれ目。

「仕方ないよね・・・自分で決めたんだもの」

そう、思った瞬間から、その思いもよらなかった問題は
全く違う展開に・・・(苦笑)

まあ、生徒の進級を背にして仕事をする立場から、
そんな人たちを指導する立場に、急に配置換えになって・・・
みたいな感じでしょうか。
世の中から見れば、ポジションが上がったとも言えますが、
私にとっては、計算外(苦笑)
そこには、全く違った「難しさ」が繰り広げられることに・・・
・・・でした。

正しい事が変わるからと、あちこちに同意していると、
「風見鶏は信用できない」とだんな様がよく言うように、
信用を誰かから得ようとして、
信用されてない・・・みたいなことにもなりかねなかったりします。

正しい事が変わっても、その場で自分の信じた事を信じるまで貫く。
え~って、周りが思っても、それが「普通」になるまで粘る。

その先には・・・思わぬ展開が待っているかも知れません(笑)

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2010.03/30(Tue)

【だんな様は霊能力者】 正しいことは変わる・・・ 

「これが正しい」なんて学校で習っても、
結構、実際の社会では役に立たなかったりしますよね。

・・・って、かつて、教えていた人間が言うことでは
ないかも知れませんが・・・(苦笑)

いや、だからこそ、言えることもある!
なんて開き直ってみましょう(あはは)

まもなく留学する人に、「文法って大事ですか?」って聞かれたら、
きっと、「大事じゃないです」と答えるかも知れません・・・。

大事じゃないことはないんですが、
今の時点の優先事項じゃないって意味なんですけど。
学校で言われた事と違うことを言われた方は、
一瞬、「きょとん」としてしまいます。

何が一番大事なのか。
それって、時と場合によるのですね。
必死になっているときって、この優先順位を間違えることってあります。
そして、時間が限られているのですから、
結果的に必死に頑張っているのに、なんだかうまく行かない・・・って。

その場、その場、
その人、その人の思い。
その時、その時で「正しいこと」は変わるのですね。

そんなアドバイスをだんな様から受けて、
やっぱり「きょとん」としてしまう人っていますけど(あはは)
次の瞬間に
「ああ」って、視野が広がって意味がわかる場合もあり、
「どうして正しいことが変わるんだろ・・・」と疑問のまま
進む事になる場合もあり、これもまた、時と場合によります。

「アドバイスを実際にやるかやらないかも
本人の自由だからね・・・」
なんて、だんな様は言っていますが、
やらなかったことで学ぶのも貴重な経験だそうで。

学べば、「正しかったことに早代わり!」って
ことでしょうか・・・(笑)

ただし、いづれも、ぼんやり過ごしたり、
学ぶ気持ちがないと、そのまま時間だけ過ぎてしまうって場合もあり。

するもしないも本人が決めたことなので、
その結果も本人が受け取っているのですから、
基本的には、学ぼうをする気持ちが出てくるまで、
見ている側からすると、見守るしかありません。

いくら、「正しい」ことでも、無理やりだと、
きっと、それは「正しい」ことにならない可能性も大!
・・・だって、同じ事がある度に、
あなたは、その人に手取り足取り。
つい、アドバイスし忘れて、逆に・・・
なんてことだって、ないこともないですものね。

相手から、どう思われるか・・・なんて、
究極どうでもよいのです。
ただ、相手のことを本気で思えば、
「正しい」「正しくない」はいつも変わる・・・。
って、見守りながら、心の中で私が唱える事にしているってだけの話です(笑)

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2010.03/28(Sun)

【だんな様は霊能力者】 祈りって・・・。 

祈りって、どこか料理を作るのに似ているな・・・
とふと思いました。

「餌を食べているみたいにならないように・・・」と
だんな様が時々言います。
忙しい毎日、どうしても、基本的な生活の中にある当たり前の
何かを、本当に忘れてしまうのかも知れません。

料理で何を作るのか考え出すのは、
祈りでいえば、「こうなりたい」という目標。

その料理に必要なものは、いろんな食材。
料理を作る前に揃えなくてはなりません。

祈りで言えば、それが叶うのに必要なもの。
仕事そのものだったり、
人脈だったり、
仕事の実力だったり、

いづれも最後に出来上がるものを
頭に浮かべて、準備します。
全部、絶対揃えなくては・・・なんて頑張りすぎると、
いつまでも出来上がらないってことにもなりそうですしね。

時々、この部分に祈りが集中することがありますが(苦笑)
幾ら祈っても、「にんじん」は基本的には手品でない限り、
目の前に落ちてきません。

そして、実際に調理を始める。
そこにも祈りと同じ作業が、
(火)加減、
タイミング、
調味料。

同じように、同じ手順で作るはずなのに、いつも同じ味になるとは限らないように、
祈っていつも同じ結果になるとも限らない。

いつも同じ味に仕上がる食材が手に入るとも限らなければ、
たまたま手に入って試してみた食材で、おいしくなったり。

いづれも、その時、その時によって、何かが少しずつ違えば、
出来上がるものも少しずつ違います。

多少、手順が違っても平気。

だけど、一番大事なのは、「食べる」場面まで、含んでいること。
おいしいと食べる場面まで料理だったりするのでしょう。

「これが健康にいいから」とあなたが思っただけでは、
十分でないかも知れません。

それにいくらおいしいものでも、食べる人の体調ってのもあり。
胃が弱っている時に・・・おいしいものは変わるはず。

いくらあなたが「正しい」と思って、
こうしなさい!
こうなれば!
そう祈ったところで、
料理して、想像したとおりの味に仕上がるとは限らないように、
思った通りの結果が出るとも限らない。

勿論、えぃ!って「気合」で何かを作り上げるってことも
時には可能。
だけど、毎回、気合入れすぎると、何しろ毎日のことだから、
続きません(笑)

ちょっとぐらい失敗したって、
ちょっとぐらい材料が足りなくても、
ちょっとぐらい順番を間違えてしまっても、
そして、ちょっとぐらい食べた時に何かが足りなくても、

食べた時においしいと思えれば、
祈った後に、「幸せだな」と思えれば、
それで結果オーライかなと。

「結果」を出すことにしゃかりきになってしまい過ぎないように・・・。
私自身への言葉でもあります。


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2010.03/27(Sat)

【だんな様は霊能力者】 変える! 

心機一転!何かを変えようとするとき、
多くの人が大きく変えようとするものだったりします。
・・・というか、大きく変えたら、大きく変わると思いたい・・・
みたいな心理なんでしょう。

けれども、きっと、自分では変えたつもりでも、
一番大事な何かが変わってないのか、
また同じことを繰り返してしまったりします。

何を変えれば良いのか・・・
それって、本当に見えにくいものですね。

家の改築だって似たようなことが起こります。
私の母も改築好きで、気が付くと家のあちこちが変わっていたりします。
「片付くと思ってこうしたのよ」

まあ、それで気持ちがすっきりすればそれはそれで・・・。
でも、相変わらず、どこかがこうだからと改築を繰り返しています。
こうなれば、趣味のようなものです(笑)

「改築する前に、今のままでどのくらい快適にできるかって考えてみたら?」

改築を繰り返し、また改築をするというプランを
一緒に考えていたのですが、どうも何かがピンと来ない・・・。
「何が足りないのか」が見えてこないのです。

それが見えなければ、改築のプランも立たないし、
感覚で進めても、逆に何だかちぐはぐになったり。

「今の状態での工夫って幾らでもできるだろ?」
その工夫から出てきた、プランであれば、
変えたものが、ちゃんと役割を持つようになる・・・。

家も、仕事も、そして生き方も、究極同じなのかも知れません。

何かが足りない・・・
そう感じるのは、決して満足しないという
欲の深さとも言えるし(苦笑)
向上心とも言えるし。

足りないと思った時点では、どちらでもないのでしょうし、
欲深さと、向上心、ここからここまでと別けられるものでもなさそうです(笑)

要は、「だから・・・どうするのか」の次の行動かも知れません。

まあ、その行動には失敗もつきもの。

「何でこんな改築したのかしら・・・」と嘆く母。
「それも勉強、勉強」と、言い出したら聞かない母のこと、
こんなことでもない限り、改築癖は治らないと思っている私。

それでも、「ああしたら、こうしたら」と、
また次の改築をいつか実行するだろうなと思っています。
何だか住みずらいな・・・と思いながら、
ほったらかしにして置くよりずっと良いし・・・なんて、
思ったり。

改築も含めて、何かを「変えてみる」って、
試行錯誤の連続なんですね~。

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2010.03/26(Fri)

【だんな様は霊能力者】 視線の先 

小さい頃から、目標を立てなさい!なんて言われ、
実際、教師の時代にも生徒には目標を立たせるってやってきましたが・・・。

ずっと、どこかに違和感があったんです。
目標、大きすぎても現実味がないし、
小さすぎても、そんなこと目標にしなくてもやるだろうって。

実際、高校生に将来、何になりたいとか、
どんな大学に行きたいとか、そんなことを考えさせると、
超現実的だったりして、私ががっかり・・・とか(苦笑)
「もっと、大きな目標を立ててくれ~」と頼みたくなるぐらいでした。

でも最近、少しだけ、「目標」というか、
視線の先にあるものって、どれだけ大事なのかをよく目にします。

例えば、
「病気にならないようにする」ってことと、
「健康でいる」ってこと、
同じように思えて、実際はかなり違う・・・と。

視線の先にあるものが、「病気」なのか「健康」なのか。
言葉のわずかな違いに思えますが、
ちょっとした時にこの違いが大きな違いを生むんだな~と。

いざ!チャレンジ。
そんなチャンスは、こちらの都合など待ってはくれなかったりします。

そんなときに「病気」が視線の先にある人は、
どうしても、「チャレンジして、病気にでもなったら・・・」と考えがち。

健康でいよう!だったら、これってやるしかないじゃない!
例え少し体調を崩すことがあっても、それは、それ。
そのときになってから考える・・・って具合。

「下を向いて生活しないように」

自分では、視線を下げているつもりはなくても、
体も思考回路も「重力」には弱いらしく、
意識して、「上」を向いていないと視線って下がるものなんですね。

毎日、慣れた事を、慣れたようにこなすだけだと、
いつの間にか体にくっついて、それも重力に逆らえない脂肪のように、
自分の意識も、いつも意識して「上げて」おかないと・・・。

気が付かないうちに、その視線は確実に下がる。

下がった視線で考えることって、はっきりいってろくなことではありません(爆笑)
こうなったら・・・
ああなったら・・・
あのときこうすれば・・・

こんな風になってませんか?

ああ、こんな時のために「目標」ってあるんだ・・・と、
なんだか、あまりにも当たり前のことなんですけどね~。
忘れますよね~。
おっと!
そんなときは、視線は確実に・・・下がってます!


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2010.03/25(Thu)

【だんな様は霊能力者】 はい、次のページ 

お掃除でも、お経を読むでも、空手でも、
はたまた日常の生活の中でも、
「これは・・・(汗)」と修行としか思えないぐらい大変なこと。

「だから、修行なんだ(笑)」

修行は辛くないと・・・と言うだんな様。
辛い修行をどう工夫して、自分のモチベーションに変えるかってのも
修行の大事な一部だそうで・・・。
Mですね、M(笑)

こうした日々の修行を乗り越えつつ、
全力で頑張っているだんな様の弟子。
先日も書いたように「お掃除行」や
「いらないものをさっぱり捨てる行がが一段落。

「すっきりしました」
と、日常の仕事を普通にこなし、その間にお掃除行をこなし、
そして、空手の審査も受け・・・といった具合。

それでも容赦はありません。
「はい、それでは次のページに進みます」

まるで何事もなかったかの様に、次の宿題が落ちてきます(爆笑)
それも、このタイミングで・・・(涙)と
言いたくなるような内容だったり。

「だから、修行は辛いだけでも駄目なんだよ」
最初の言葉と矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、
辛いとだけ思うかどうかは心の問題の部分も大きいものです。

いつも、さてというタイミングで全力が出せる。
そんな体力と、気力を自分のものにする。

それが厳しい・・・と思うときほど、
卒業して次の段階に行く、タイミングでもあるのでしょう。
今年は、そんな「変化」がはっきり目の前に
落ちてくる年のような気がします。

自分の前に落ちてきた宿題。
学生時代のように「わすれてきました」と、
宿題が出たことさえ、都合よく忘れる事もできないわけではないですが・・・。

その先にある結末は、学生時代とあまり変わらないみたいです(苦笑)

宿題をしなさい、しなさいと自分でも嫌になるほど
口うるさく指導していた、本当の意味はここにあったのか・・・
本当はここを指導していたのか・・・
と、今更ながら教師時代にやっていた自分の仕事。
ちょっと、正当化してみたりしてます(笑)

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2010.03/24(Wed)

【だんな様は霊能力者】 やっぱり疑問 

ずっと疑問だったこと。
それは、どうして人は楽しいことより、苦しいことからの方が学ぶのかな?
って、当たり前と言えば、当たり前の・・・
それでも、私にとっては大きな疑問。

いつだったか忘れましたが、一度、
「ああ、そうか」と納得して自分なりの答えを見つけた気がしたのです。

その答えって?
多分、「風邪にかかってからしか、風邪の薬の効き目はわからないんだ~」
なんて、思った時だったと記憶しています。

「ああ、苦しいことって、そうやってしかわからないのね~」
ってことだけ、こころに残すことにして、
何か起こった時は、「終わったら、何かきっとわかるはずだわ~」
ぐらいに思う様になって、かなり諦めがよくなりました(爆笑)

同じ質問を勉強会に来ている人がしていましたので、
何だかすこし、種あかしみたいになってしまいますけど、

「深さが違うんだよね~」とだんな様。

痛い思い、
辛い思い、
繰り返して乗り越えた記憶。
それは、心の奥までしみこむのだと。

・・・そういえば、楽しいことって、確かに覚えてはいますが、
そうやって乗り越えた事に比べれば、記憶がはっきりしていなかったり、
苦しいことや大変なことと比較して、記憶が残っている場合が多いな~と。

心の深い、深いところ。
それって、「魂」じゃない?と思いました。

「魂にまで届く経験って、かなり深くないと駄目よね」と私。

その深さまで何かを刻もうとすれば、
かなりの苦しさを経験するか、
その苦しさの後の、楽しさを経験するか。

どちらにしても、「楽しい」だけでは、
どうやらディープな部分には届かないみたいで・・・(涙)

まあ、仕方ないですよね。
魂の修行をしに生まれてきたのであれば。

・・・と、話をしながら・・・空手の練習に出かけました。

ふうとため息がでるほど疲れましたが、充実した時間でもあり、
多分、魂に向けて、1ミリほど掘り下げた気分です(あはは)

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2010.03/23(Tue)

【だんな様は霊能力者】 お彼岸 

世の中は三連休。
ここでは、お彼岸の行事が、日曜に、
そして昨日は空手の審査会にと、なんだかばたばたしていました。

数日前にも書きましたが、お彼岸が近づくと、何だか空気が重くなります。
そんな空気を敏感に感じる人たちは、
「この時期は仕方がないから」と、
まるで文字通り、恒例行事の一つ状態です。

今年のお彼岸は、例年にまして(って、毎年書いている気がしますが・笑)
大変でした。

供養って、交通整理に似ていると誰かが言った事があるのですが、
イメージで言うと、
受付を済ませた沢山の人が整然と枡目状に待っているのが
供養が行き届いた家のご先祖様。

自分の順番まで待てない!って感じが強いのが、
供養を待ち望み、待ちくだびれたご先祖様って感じでしょうか。

「そりやぁ、誰でも待ちくだびれるとそうなるわよね」

供養は、ご先祖様と自分への「養分」
足りないと・・・という部分では、
生きている人間も、ご先祖様も同じなのでしょう。

この激しい数週間の間、だんな様はだんだん戦闘モードに(苦笑)

いや、いや、それこそ私だって、「はい、こうして」なんて
生徒に言って言うこと聞かなかったら、だんだんぶち切れそうに
なりますもの、わかります!

・・・わかりますが・・・
次の日、供養の終わった祭壇のろうそくの蝋が、
風もなかったはずなのに、すごい状態に・・・。

その上、だんな様のケイタイ電話が・・・デッド。
つまりは壊れてしまいました(苦笑)

そんな、こんな、トラブルがあってもなくても、
供養が終わった後は必ず思うんです。
「・・・ああ、良かった」って。

それこそ供養した人間もされたほうも楽になったのが
空気で伝わってきますから・・・。

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2010.03/21(Sun)

【だんな様は霊能力者】 お掃除行 

「次の行はね・・・お掃除」
数ヶ月前、そういわれてきょとんとしていただんな様の弟子。

最近、ここでは、この「お掃除」行が、偶然にもはやっています(笑)

思えば、この「お掃除」の大切さや意味を以前からずっと、
「修行の最初は、トイレ掃除だった」
「自分が通った学校の掃除は、普通じゃなかった」
「日ごろから、数ミリでもずれていると気になる」
など、など、沢山話をしていたと思いますが、
これこそ、自分で必要と思い、
自分で、自分の部屋や机、自分のいる場所、
やってみないと、その効果は実感できないのでしょう。

私もそうした行って、知らないうちに
実はやらされていたのでは?と思うことがあります。

小さい時、休みごとに「遊びにおいで。ちょっと手伝いもしてくれたら」
と、お寺にあづけられた覚えがあります。
自分としては、とても楽しみに出かけていって・・・。
朝、起きると、「ハイ、お願いね」と手渡されたのは、松葉箒。
ひろ~~~い、境内をほとんど一人ではわき終わる頃には、
手が痛くなったのを思い出しました。

それから・・・
だんな様もそういう時期があったといいますが、
それはもう、引越し魔の時期。
思い返してみると、数年の間に何度も引越しをして、
一箇所に一年ほどしか住んでいなかった計算に・・・(涙)
その度にいらないものを捨て、整理をして、
新しい場所に移るを繰り返した中で、
捨てる事や切り替える事の意味が、それこそ住み始めてわかったかな?と。

残念ながら、こんな経験をしながらも決して片付け上手には
なかなかならないものだったりしますが、
それでも、その時の経験を、お掃除行をして、
見る度すっきりする彼女を見て思い出しました。

これも、「片付けて初めて」自分がいた場所が
どのくらい留まっていたか気が付くものです(苦笑)

元々、ある意味とても敏感な私は、
気の乱れや、溜まった空気には、
過敏と云われてもしょうがないぐらいだったりします。

今でも、家の中や外で気になる事があると、
塩を持って浄めたり、
突然、窓を全開にしてお掃除を始めたり。

家の周りを含めて、なんとなく定期的にチェックしてしまいます(苦笑)
そして、自分では手に負えないと思うと・・・
だんな様の出番です!

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2010.03/20(Sat)

【だんな様は霊能力者】 同じレベル(今度は自分編) 

まあ、人と間で起こる問題も含めて、
どうして~と思うこと。
どうにかしたいと思うこと。
解決しなきゃと思うこと。

そんなことに囲まれながらも、過ごそうと思えば過ごせる・・・?
と、私的には思っていましたが、
ここには性格が大きく影響しているんだな~と実感!

同じように例えば、人間関係とかで悩んでいても、
本気でどうにかしたいと思ったら、
いちかばちかで相手にはっきり言う!か、
きっぱり、あきらめるか。

どちらにしても、同じ事でぐるぐる悩んでいるのが、
もったいなく感じてしまいます。

「どうすれば・・・」と、真剣に考えることが始まりなのかも。

単純なことですが、このスタートラインにつくのって
意外と難しいんですよね。
社会が悪い
育てられ方が悪い
だれだれが悪い
お~~っと、それではスタートラインにさえ付けません(涙)

かのアインシュタインの含蓄のある言葉に出会いました。
「問題は、その問題が起こった時と同じレベルでは解決しない」

犯罪をなくそうと、刑務所を沢山作っても、
戦争をなくそうと、武装して平和を作りだしても、
病気をなくそうと、薬を沢山飲んでも・・・。

一時的にはしのげても、根本的に解決できていない問題は、
次の新しい問題を生み出してしまうのだと。

あら~、それって、個人的な問題も一緒だわ~。

その上、同じレベルで解決しようとこだわると、
(つまり、その時の自分の考えにこだわると)
一つ上のレベルの解決法を目の前にしても、
「そんなことで解決するかな?」なんて、
人の声が耳に入らなかったり、違和感を感じたりして・・・
結局、幾ら目の前に違うレベルのものがあっても、
気が付かないで、とどまってしまってるのかもと思ったりします。

でもね・・・同じレベルじゃ駄目なら、
どうすればいいの~と思ってしまいます(涙)

「真剣に考えなさい、一時しのぎじゃなくてね」

その中から生まれる新しい感覚こそが、
次のレベルに進むのには必要なのでしょう。

そんな視点だって、実はきっと、
見る人が見ればいくつもあるのでしょう。

それに、時とともに変わる事情や、
ころころ変わる自分の心。
ならば、「解決法」もいくつもあるはず。

それなのに一つも見えないなんて・・・(涙)
くやしすぎるじゃありませんか!

・・・という、ところに多分、性格が表れてる(笑)
やっぱり、最後は根性!だ・・・。
と、今のところ同じレベルで留まってる問題を見つめながら、
いつ、チャンスが来るかを見据えています!

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2010.03/18(Thu)

【だんな様は霊能力者】 お彼岸前 

例年どおり・・・というか、お彼岸前はどこに行っても、
どこに居ても空気が重いです。

「お彼岸だから仕方がないよね・・・」というのが
この時期の決まり文句になっています。

以前にも何度か書きましたが、お彼岸って、
日本ではお墓参りをして・・・
なんて習慣が日本ではできあがってますが、
全世界的なものでもありませんけど・・・。
ただ、この時期、そんなに感覚の鋭くない人でも、
いろんな影響を受けやすくなるようです。
その中の一つが、先祖から受け継がれたDNAの影響だったりするのでしょう。

先祖から受け継がれた「因縁」というと、どちらかというと、
世の中ではマイナスなイメージで使われることも多かったりします。
勿論、「家」に代々引き継がれてきたもの、なんていうのは
誇りになったり、律する元になったりもします。

「原因があって、縁ができるということ」とだんな様が言うように、
単にある「法則」を表しているだけでもあると思うのです。
それは、1+1=2ぐらい、考えてみれば明らか。

「因」があって、「縁」が出来る。
それがまた「因」になって「縁」が出来る。
・・・って具合に繰り返しているだけじゃないと思ったりすると、
すべての「なぜ?」は、この公式を見ようとしないときなんだな~と。

「それが、良いことか、悪いことか、
それはどこから見ているかっていう視点に過ぎないよ」

先祖から受け継がれたDNAには、こんな意味では、
良いも悪いもないのかも知れませんが、
それにしても、この空気の重さは、どこかで何かが
「止まっている」部分があるってことでしょう。

私の中に眠る、先祖からのDNA。
最近、ここでは「お掃除ブーム」
(これについては、また書きましょう)

きれいにお掃除して、先祖と一緒に楽になろう!と、
お彼岸の日をまだかな・・・と待っています。

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2010.03/17(Wed)

【だんな様は霊能力者】 PCに例えると 

「宇宙にはプログラムが存在する」
って、これはフラクタルタイムの表紙の言葉。

最近は特に、宇宙をコンピューターに例えて
理解しようとしている本が沢山ありますよね。

「まあ、人間もコンピューターというか、
ものすごく精密な機械みたいなものさ」とだんな様。

まあプログラム化できれば、どんなものも単なる
「複雑さ」の違いで分類されたりする時が来るかも知れません。

・・・ふと、その例えで言えば・・・と思ったのが、
「霊能力者って、PCで言えば、Macに似てない?」と思ったりして。
当然、比較はWindows

一般的な文書をやり取りする時は、やっぱりWindowsじゃないと
いけないことも多くて、Mac派のだんな様は、
「どうしてWindows版しかないんだ・・・」と
時折不満そうです(笑)

それでも、Windowsを扱い出すと、途中で、
どうしてなんだ!と言いながらも、ちゃんと用を足してしまうのですが。
・・・その逆は、なかなか難しかったりします(苦笑)
Windowsしか使った事のない人が、Macを目の前にすると、
まるでちんぷんかんぷん。

「そうだね、そもそもOSが全く違うからね」

基本的に世の中、Mac仕様には出来ていないようで、
Windowsを使っている人には想像できない苦労をしているらしいです。

「Macは、画像に強いでしょ?それも似てるよね」と私。
霊能力者ってビジュアルがとても強い人が多いのです。
まあ、これも例えになりますが、誰かから手紙が来るのに、
「絵葉書」=「霊能力者」みたいな感じかしら?
どんな場所かって詳しく書いた長い手紙より、一瞬で、
それもクリアーにものごとがわかったりします。

勿論、画像処理に問題のないぐらいのWindowsを使っていれば別でしょうけど、
それでもどうやら細かいところの作業となると、Macでなければ・・・だそうで。

おっと、ここで、
じゃあ、Windowsにしようとか、
じゃあ、Macにしようとか、
どちらが良いがとか、
そんな事を考えてはいけません。

さらには、Windowsを持っていたら良かったのにとか、
Macを持っていたら・・・なんていう
ない物ねだりもいけません。

そんな土俵じゃなく・・・
どうせなら、やっぱり大型コンピューターでしょ!(笑)

ただし、使いこなすには、それなりの努力が当然必要でしょうけどね。

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2010.03/16(Tue)

【だんな様は霊能力者】 奉仕の心 

奉仕の心・・・なんて書くと、とても堅苦しくて、
心理的にも一歩引いてしまいそうな響きさえします。

「修行の最初は、全部、奉仕の心を持つためのものだったよ」

トイレ掃除に始まり、広い、広い場所の掃除だけでも、
気が遠くなりそうな作業です。

その上、きれいになって当たり前なわけですから、
途中でため息の一つや二つじゃ足りなさそう。

誰かのために自分が出来ることを精一杯やる。

こんな単純で、いつでもできそうな事を
実際に心からやるというのは、やってみるとわかるそうですが、
なかなか簡単には心に染みて行かないそうで・・・。

初めは、「何で?」が頭に浮かぶと。

どうしてこんな事やらなくちゃいけないの?
修行じゃなくても、そんなこなさなくてはならない作業が
目の前に降ってくることってあります。

教師時代にも、実際に教える他に、いわゆる「雑用」は沢山ありました。
ひょっとしたら、雑用の方が多かったかも?と思うぐらい。

目の前に高く積まれたプリントを一つ一つ綴じながら、
「なんで・・・」と思わなくもなく(苦笑)
単純作業の苦手な私にとっては、かなり精神的にも修行でした。
まあ、この作業が奉仕の心だったかどうかは別にして、
目の前にある仕事を進んでやるという姿勢が身に付くまで、
仕事を始めてからしばらくかかりましたし、
それまでは、やっぱり「何のために・・・」と、
どこかで思っていた気がします。

時が経って、その頃の事は、「誰かのために」
究極、やってもやらなくても良いようなこと。
それが、自分の身についていると感じます。

「・・・ね、やったらわかるだろ?」
と、だんな様。

損得抜きの世界には、やった人にしかわからない、
これまた、誰かがあなたにやってくれる損得抜きの世界が
広がっているのです。

こんな話は、よく道徳の時間に誰かのエピソードや
偉人の話として聞いたり、話し合いの授業なんてあったりしますが、
こればかりは、本当に自分でやってみないとわかりません。

「誰かを本当にもてないしたい。
誰かを本当に気持ちよい状態で迎えたい」

それが修行の原点だとも。

とすれば、日常の中にも沢山、沢山、修行は転がっている・・・。

こんな風にやってあげたら、こんな風にやってもらえるだろう。
そんなある種の計算は、一つの行動から、一つのモノしか生み出す程度(苦笑)

いくら相手のためと思っていても、それに少しでも計算が入ると、
ちゃんと答えは、計算どおりになってしまいます。

計算のないことには、計算できない、想定外の世界が広がっているのでしょうね。

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2010.03/15(Mon)

【だんな様は霊能力者】私は何人? 

「あなたは、何人ですか?」と聞かれたら、
このブログを読んでくださっている人のほとんどが、
「日本人です」という答えが頭に浮かぶのでは?

ある時、ふと、いつから自分が日本人だって
反射的に思うようになったのかな~と
思ったことがあったのです。

いや~どう考えても、例えば江戸時代の人が
同じ質問をされて、「日本人です」と答える人が
何人いただろう・・・。
今、人気の坂本竜馬ぐらい?かしら?とか。

それだけ、人の行動範囲が広まったってことなんでしょうけど、
「日本人だ」と思うには、「日本人じゃない」人の存在が
必要だったりします。

留学でイギリスやアメリカに行く前には、
自分がどのくらい「日本人」なのか、
考えもしなかったですし、
留学中は、自分がいかに日本人なのかを実感した次第(苦笑)

ずっと未来に宇宙旅行が普通になって、
宇宙人と会う機会が増えたら、
「何人?」「地球人です」みたいなスタートレックの中で
繰り広げられる会話をするようになるのかもしれません。

「何人?」と聞かれた時にどう答えるかってとき、
ココロの中で起こる事をよく、よく、観察すると、
自分の観ている、感じている世界が映し出されていたり
するものですよね。

「日本人です」と同じ答えを返しながらも、
なぜかすごく窮屈に感じることもあれば、
自分の原点に感じることもある。
これって、たぶんどこかに「見えない線」みたいなものに触れた時の
こころの動きなのでしょう。

その線の外を知らないと、自分のポジションもわかりにくい。
だから、だんな様は、知らないうちにその線の先が見えなくなって
小さくまとまってしまいそうな人に言います。

「どこか、外国にでも出かけてきたら?」

何人であるということ意外にも、便宜上のものでしかなく、
見えない区別、当たり前と思っていた区別が、
全く違う場所に立つことでわかったりするんですよね。

今日もまた一人、日本人という見えない枠がちょっと息苦しいと
思う方が、外国に出発される前にお見えになりました。

「彼女には日本は狭すぎる」
とだんな様が言っていたのですが、行動力のある彼女は、
しっかりそのチャンスを手に入れられたようです。

ところで、だんな様に同じ質問をしたら、
どんな答えが返ってくるのかしら?

「ぼくは、ぼくでしかない」

・・・あくまでも枠にはめられるのが嫌いみたいです(爆笑)

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2010.03/14(Sun)

【だんな様は霊能力者】 妄想の危険性 

数日前に、「妄想のすすめ」みたいなことを書いておきながら、
「いや、いや、どんなことにも副作用はあるのね~」と。

妄想って、簡単に言えば、「現実じゃない」って
あまりにも当たり前のことなんですけど、
自分が「現実」と思いこんでいることの
どこからどこまでが「現実」で
どこからどこまで「妄想」なのか。

区別さえつけておけば、すきなだけ妄想しても・・・とも
思わないでもないのですが・・・。

やっぱり、物事には「方向性」って大事。

妄想も、妄想で、
「こうなったらどうしよう」という不安は、
無駄に・・・というと、語弊があるかも知れませんが、
どんどん膨らんでしまいます。

こんなことが起こったらどうしよう・・・。
そんな不安なことを考えるときに妄想の癖が
暴走すると、極端な場合は、その妄想で、
身動きさえ取れなくなってしまうかも知れませんものね。

それもそうですが、
「そんな場合でなくても、結構、起こりもしないことに
とらわれているんだよね~」とだんな様。

もしかして、知らないうちにこの妄想を積み上げて、
「こうならないように」と行動する癖ができているとすると、
結局は、「妄想の世界」に生きていることになってしまうのですね。

起こって欲しくないことを起こらないようにするのは
当然だろ?って聞こえてきそうな気がしますが、
そこを基準にすると・・・
いつの間にか、ココロも体も固まってしまっている。
その上、それに気が付きにくいということもありますし。

こんな状態って、ひょとしたら、
「悪いことが起こらない安全な、想定内」の未来を「今」生きてることに
なるのかな~なんて思ってしまいます。

勿論、過去に起こったことを忘れられないで、
ひきずるのも一種の「妄想」とも言えるかも知れません。

起こった事は事実でも、それをどう思うか、
どう思い続けるかは、別のもの。
こんな状態は、「暗い過去」を「今」生きているってことかしら?

「今を生きなさい、今を」
言い古された言葉でもあり、だんな様もよく口にする言葉ですが、
過去や未来ではなく、今を生きるという意味は、
暗い妄想の世界に住みつかないための、
一つの秘訣なんですね~。

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2010.03/13(Sat)

【だんな様は霊能力者】 力を抜く 

だんな様の弟子は、みんな力を付けるために、
力を抜くのに苦労しています(笑)

「力んだら駄目。自然に自然に」

同じことは、空手でも。

「力が入ってしまうのなら、力が入らなくなるまで続けなさい。
100本でも1000本でもけり続けると、その内力が抜けるから」

・・・そういわれても、現代人の申し子は、どうしても
「どうやったら力が抜けるのだろう・・・」と、
頭で考えてしまうようで、力を抜くのって、
力を入れるのより、数倍難しいんだ~と、発見!

よく、脳は全体の数パーセントしか使っていないと言われ、
もし、全部使えたら・・・なんて昔、思ったものです。
今は、ひょっとしたら、この力を抜いた自然な状態の時のために、
ちゃんととって置いてあるのかなと。

PCで言えば、作業のためのメモリーのようなものかしら?
なんて、一人で考えてしまいます。

しかし!この力を抜くのは、本当に難しく、
「力を抜こう」と「力が入ってしまう」始末(涙)

こうじゃない、ああじゃないと試行錯誤が続きます。

昨日、ある場所に一緒に掃除に出かけた弟子たち。
とても大変だったらしく、終わった後にだんな様に会いにきましたが、
みんな、ヘロ、ヘロ。

そして・・・あら、力が抜けているじゃない?

一昨日、あんなに苦労して出来ないと悩んでいたのが嘘のように、
それは、みんな自然な姿でした(微笑)

「一日で変わるのね~」とだんな様と話をします。

勿論、一日で変わるためには、ずっとずっと長い間の
積み重ねや真剣な試行錯誤があってのことですが。

思えば、マルチタスクをこなすのに、それが自然になるには、
一つ、一つを丁寧に意識しないでできるまで繰り返す。
そして、その意識しないでできる「範囲」を増やして行けば・・・。

きっと、すごいことも、特に「力を入れない」で、
何気にやってのけるようになれるのかも知れない。

祭壇で手を合わせる姿を見て、そんなことを思いました。

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2010.03/12(Fri)

【だんな様は霊能力者】 敵もさるもの(笑) 

人に何かを伝える、教えるというのは、「忍」に一文字だったりします(笑)

この話題のたびに思い出すのは、教師時代の経験。
その中でも、毎回、課題をするのを忘れてくる生徒が数人いたときのことを
いつも思い出します。

「今日は、全部終わるまで帰っては駄目!」

今ならこんな指導法、問題になるかどうかわかりませんが、
当時(っていつ?笑)は、
「できないなら、できるまで付き合う」が主流でした。

夜9時になっても、10時になっても終わらない・・・(涙)
やらされている方もですが、私も当然付き合うことになるわけで・・・。

「まあ、これで懲りて、次はちゃんとやってくるだろう」


次の課題の提出日・・・やっぱりやって来てない(涙)

「大丈夫です、先生、家には遅くなると言ってきましたから」と生徒(あはは)
いや、いや、敵もさるものです!

私の思惑は、どうやら大きくはずれたらしい・・・・。

「今日は帰っていい・・・明日出しなさい・・・」
という私に、なぜか残念そうな生徒たち(爆笑)

教えって、思った通りに思った時に伝わらないものですよね。

大学院で自分が生徒として学んでいたとき、
(これもよくブログで登場しますが)
「学ぶ方には、学ぶ方の都合がある」と、聞いた瞬間、
とても腑に落ちた気がしました。

教えるだけじゃなくて、誰かに何かを伝えたい、教えたい。
情熱を持ってやっても、結構、肩透かしをくらった感じがして、
そんな時は思わず・・・ため息がでてしまいます。

「それでも、伝え続けるしかないのよね」とだんな様と話をします。

学ぶ側に都合があるなら、学ぶまで伝え続けるしかないのです。

そして、それが伝わる瞬間は、自分で「教えている」と自覚している瞬間では
なかったりします。
ふとした、時に、ああ伝わっている・・・と気が付いたりするのです。

教えるって、「型にはめること」ではないはずですが、
力が入ると、つい、つい、「型にはまっているかどうか」が気になったりします。

人のことになると、こんな姿勢も結構見えたりします。
「言うことを聞かないのよ~」と妹。
私の目から見ても、小学校に通う子供にそれは求めすぎでしょ~とか
思う時もしばしば。

「思い通りの子に育てると、あなたの想像を超えた子にはならないわよ!」
なんて返す私。

ひょっとしたら、ちゃんと伝わっているのに、
わかってないな~と嘆いたり、
伝わらないな~と、落胆したり。
いつかは伝わるはず!
伝わる、伝わらないではなくて、
どうやら、「粘り勝ちする」を目標にした方が
よさそうですね・・・(苦笑)

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2010.03/11(Thu)

【だんな様は霊能力者】 困ってからしか 

この前、ちょっと買い物に出かけて、ドン!

被ぶったと自分でもはっきり自覚した瞬間、
「お電話番号は?」と聞かれて、
自分の電話番号が知っているはずなのに、
口から、出てこない・・・(涙)って事がありました。

「そういえば・・・」と、いまさらのようにこの感覚、
初めてじゃないと自分の昔を振り返ってみたり。

学校の入試の最中に、こんな感覚になったことが・・・。
たぶん、数学の問題だったのですが、何せ一問目がわからない(涙)
どんな試験でも最初の問題は、とても簡単な計算から始まるものですよね。
それが、頭が止まってしまって、まったく「わからない」のです。

・・・そういえば、昔から、「突然、あなたはパニックになるから」
よく両親から言われていたと思い出してしまいました。

そう、私も典型的な「無自覚」の被り常習者だったようで。

けれども、これって本当に困って、どうにかしなきゃと自分で
思わないと逆に気が付かないし、
そのまた逆に、このままでも・・・とどこかで思っている程度なら、
なんとなくやり過ごすことも出来たりします。

これって、自分の癖みたいなものも同じだわ~と。
「こりゃあ、治さなきゃ」
「こりゃあ、避けられない」
そう思わないと、解決するという薬も意味がないわけで。

風邪をひいたと思わなければ、
風邪を治さなきゃと思わなければ、
風邪をひく体質をどうにかしなきゃと思わなければ、

薬も予防も、その効果も実感できないのねと。

という訳で、「これはどうにかしなくては」と思うことがなければ、
努力もしないかも・・・と根は結構ぐうたらな私は思ったりします。

何かが起こった時に、パニックにならずに、
「どうすればいいのだろう?」
「そうすれば、一番スムーズに解決するんだろう?」

解決する事だけではなくて、その間に何かがきっと起こっているのかもとも。

だって、薬は風邪を治してくれているように表面上思えますが、
最終的に治すのは自分の力。
薬は、体調の悪さを一時的に抑えてくれるだけだったりします。
一時的に抑えてもらっている間に、自分のバランスを整え、
何かに対処する・・・。

「解決するだけが、目的じゃないんだよ」

そこで、経験したことがきっと次に同じようなことが起こったら、
ちゃんと生かせるかどうかは、確かに「プロセス」の中の、
自分の気づきの中にありそうな感じがします。

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2010.03/09(Tue)

【だんな様は霊能力者】 相談 

今回は、ちょっと志向が違いますが、「子供」と「家の改築」の相談を受けて、
返事をした内容をお届けします。
何かの参考になればと思います。

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まず、今住んでいる家はしっかりしていて、
余程のことがない限り、霊などが入ってこないそうです。
なので、CDとか下げる必要は何もないそうで、霊道もないそうです。

そこで、お子さんの夜、夢を見て起きてしまうという原因ですが、
大人にはわからない小さなストレスを年齢的なもので感じているので、
やがてはよくなると思うのですが、今は、そのストレスが「怪獣」みたいな夢に
なって出てきているらしいです。

対策としては、二段ベッドを一段、一段にして、壁と窓際に離しておく。
部屋の中でのベッドの位置を工夫してみてください。

もう一人のお子さんに付いては、家庭教師が気になるとのことですが、
良い悪いではなく、現在の方は彼に合っていないようです。
勉強をするのに、教えてもらう人が好きか嫌いかが影響する子供と
そうでない子供がいますが、彼の場合、とても影響が大きいので、
頑張って、合う先生に出会うまで先生を探してください。

また、長男は他の子供が寝る部屋より良い部屋にしてください。
彼が長男として、これからすくすく伸びていくには、なるべく上の階の部屋が
適した部屋だそうです。

兄弟の間での上下関係はきちんとどんな場合もつけること。
これが、大きくなるに連れて影響が大きくなるそうです。


次に家の改築についてですが、玄関と庭にサンルームを作りたいとのこと。

何より大事なのは、玄関です。
ここからすべてのモノが入ってきます。

ご主人の精神状態にも、金運にも大きく関係していますので、
何よりここを重要視してください。

また、玄関を玄関らしく、とにかく工夫をしてみてください。
玄関の戸口がなるべく大きく、背が高いのが理想です。
また、玄関を玄関らしく、とにかく工夫をしてみてください。

計画の図面が出来上がったら、またチェックしましょう。

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2010.03/08(Mon)

【だんな様は霊能力者】 同じ土俵(2) 

「私のことをわかって欲しい」と喧嘩しているのを見ていると、
はらはらするとコメントをいただきました。

・・・そうですよね・・・。
いつか、結婚した人がいつもご主人と喧嘩になるらしく、
「家の中にライバルがいるみたい。
一番理解して欲しい人が、君もああしただろう、こうしただろうって
言われないように暮らすのって、悲しい」とつぶやいていたなと思い出します。

自分のことをわかって欲しい=自分の思っているのが正しい
となってしまうココロでは、余裕がなくて、
相手を理解しようとする気持ちなんてとても持てないんでしょうね。

「今しか見てないからだよ」とだんな様は言います。

今、自分のことを理解して欲しい。
今、私の言っている事の方が正しい。
とココロが一杯になるのでしょう。

例えば、相手が謝ったとして、それでも本当は理解して欲しいと
思って始まった喧嘩は収まりにくかったりします。

「謝ったけど、どうせココロでは違うことをおもっているんでしょ?」とか。
「謝って住む問題じゃないのよ!」とか(苦笑)

・・・つまりは、同じ土俵では幾ら戦っても(戦ったつもりでなくても)
解決はしない可能性が高いと言うことでしょう。
そもそも謝って欲しいと、君が正しいと言ってもらいたくて、
喧嘩になったわけではないのですから。

・・・そう、こんな喧嘩の場合、お互いは戦うライバルではないのです。
相手に勝つのではなくて、一緒にどちらを向いて進むのか。
喧嘩した後、どこにたどり着きたいのか。
そこから、自分が口にする言葉を考えると少し何かが変わってくるかも知れません。

「過去に起こったことで、いくら話をしても、起こったことは変わらない」
そして、起こったことは人によって幾らでも解釈が出来るでしょうしね。

「これからどうするのか、未来の話をして、今を一緒に決めて行く。
そのプロセスが大事」と。

だから、向かい合うのではなく、同じ方向を見ているか確認をする。
そんな意識を持てると良いのかなとも思います。

もう一つ、子供を叱るときにも「自分が正しい」と思っているけど・・・。
というコメントをいただきました。
「子供って、思っているよりずっと敏感なのよね~」と、
だんな様と話をします。

教師の経験からして、嫌と言うほど(笑)この経験はしましたが、
自分の感情で叱った時は、後に嫌な気持ちが残りますよね。
それに、叱ったからと言って、本当に相手に伝わったかどうか・・・(涙)
非常に疲れます(あはは)
「どうすれば、伝わるのだろう・・・」
ずっと、ずっと、私自身考えてきたことでもあります。

「『叱る』と『怒る』は違うんだ」

自分の感情で「怒った」時、
これはと思って、「叱った」時、
どちらにしても子供は反発したり、いい顔をしなかったり。
・・・当たり前ですよね。
誰でも、こんな時、いい気持ちにはなりませんもの。

「子供がどういう態度をとっても、『わかって欲しい』と伝えつづけること」
それは、だんな様も私も同じ結論に、今のところ達しています。

そして、伝えるときは、とにかく真剣に・・・。

これも同じように、すぐ変わってくれると期待するのではなくて、
時間が必要だよね・・・と思っておくことかも。
だって、私だって、仮に叱られることをしでかして、
それを納得したとしてもすぐには変えられませんもの。

「わかってくれるかな~」と思いながら、生徒をしかりつけ、
しかるのって疲れる~(涙)を繰り返しながら、
「いいや、一生のうちに一度でも、ああ叱られたことがあったな~と
思ってくれたら、それで良い」と、叱るときは思い切り!でした(あはは)

同じ土俵に立たないって、キーワードは「時間」と「視点」かな?と
思ったりします。
「時間」とは、「過去」にあったことを「未来」に向かって、「今」どう生かすか。
「視点」とは、それを「自分」「相手」両方の目から見るってこと。

これが、仏様や神様は、とびきり得意技に違いない!
と、思ったりします。

まあ、どこまでその範囲を広げればいいのか悩みそうな私は、
すぐに結論を出す必要のないものは、「浮かしておくのが一番」

これも、我が家の家訓でもあります(って、勝手に私が思ってます・笑)


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2010.03/07(Sun)

【だんな様は霊能力者】 同じ土俵 

「同じ土俵で戦ってはだめだよ」とだんな様。

誰にでも経験があると思うのですが、ちょっとした喧嘩。
当事者にとっては、「ちょっとしたこと」じゃないから喧嘩になるのですが(苦笑)

「こういったじゃない」
「いや、君が云わせたんだ」
「だとしても、言った事に変わりはないでしょ!」
「そも、そも、こんなことになったのは日ごろから気を付けてないからだよ」

・・・みたいな・・・水掛け論。
でも、これやっている時は、どうしても勝ちたくてたまらないもの(あはは)

しばらくこうやって言い合っている間に、
ん?どちらが本当に正しいのか自分でもわからなくなってくる~とか、
それとも、この人本当に頑固なんだから!とか。

大学時代に、喧嘩をした友達の仲介になぜか入ってしまった時にも
そう思いました。
まあ、私の目からみれば、AさんがBさんとの約束を守らなかったって
話だったと思うのですが・・・。

私「Aさんが悪かったって謝ってるんだけど」
B「謝られても、約束を守らなかったことにかわりはないわ!」
と一向に譲らない。
まあ、そういう気持ちにもなるよな~と思いつつ、
いつまでも「許せない!」という気持ちのままのBさん。
A「私が心から謝っているのに!」と今度はAさんが怒る番・・・(ふぅ)

約束をすっぽかされたAさんに対する同情もいつの間にやら、
すっ飛んで行きそうでした(苦笑)

トラブルが起こった時、確かに「自分が正しい」「自分はこういう気持ちだった」
とちゃんと主張するっていうのは大事だと思うのですが、

「私がこうされた、ああされた、そこに心が縛られている」

縛られたままの心が、「出来事」が幾らあなたに正当性があったとしても、
時間の流れとともに、違うものに変化して行ってしまうのですね・・・。

正しい方向かどうかは別にして、自分で思う正しい、間違いを
それこそ間違わないためには?って思います。

誰でも、自分は正しい方向に進んでいると思っている。
だからこそ、主張をするし、時には喧嘩にもなるのですから。
同じ土俵に立って、これをやり続けると、自分がどちらを向いているのか、
わからなくなります(苦笑)

「私が正しい」という気持ちに縛られた心を解き放つにはどうしたらいいのでしょうね。

これって、「被り」と少しだけ感じが似ています。

「ある気に入らないこと」を、簡単に「忘れられない」という共通点。
そして、その「忘れられない」影響は、どんどん他のところにも広がるということ。

こんな時、もし悟った人や心がほどけた人(=仏様)だったら
どうするのかしら?と、とてもリアルな状況で想像してみたりします。

「やっぱり、正しいものは正しいと主張しつづけるのかな?」
「とりあえず、あなたが正しいと認めるのかな?」
同じ土俵からみると、「認める」「認めない」という二つしかないその時の
行動の向こう側にあるものは見えない・・・

とりあえず、今のところの結論です。

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2010.03/06(Sat)

【だんな様は霊能力者】 久しぶりに被りの話題(4) 

また、また、被りの話?と思われるかも知れませんが、
被るという感覚は、多かれ少なかれ、誰にでもある感覚だそうで、
その感覚で受ける影響にとても大きな差があるのでしょう。

「被らない人」って、「被る人」からすれば、とてもうらやましいですが、
だんな様の弟子もしばらく前まで、ほとんど「被らない」ことで
悩んでいました・・・。

他人に心が開けない・・・と。

まあ、究極、自分の世界にいて心を開かないでも、
ハッピーに暮らしていければそれで良いのですが、
「人間ひとりで生きているわけじゃないから・・・」
とというだんな様の言葉どおり、
自分の世界にこもっていても、どこかでこれ以上は進めない壁みたいなものがドンと
落ちてきたりするもので・・・。

心を開く訓練は、被らない訓練と同じぐらい、
いやひょっとしたらそれ以上に大変かも知れないな~と思います。

ある意味、感覚がほとんど完全にシャットアウトされているわけですから、
そこを再開するには、まずどこに回路があるのか自分で認識しなくては・・・
ですものね。

KYの人が、空気が読めるようになるには?というのと同じです。

同じように、本当はその回路が開いていて、
体は「被り」に反応しているのに、「気のせい」「なんか調子悪い」
そうやって過ごしている人たちも沢山いらっしゃると思います。

これまた、気合で乗り切れたり、意識しないでもちゃんとどこかで被りを
完全にリセットできたりするのであれば、なんとか暮らしていけるのでしょう。

この前も書きましたが、「風薬が効くかどうかは、風邪に罹ってみないとわからない」
という言葉を読んで、なるほどね・・・と。
「被り」も「ああ、これ以上は体が耐えられない」状態になってからしか、
対処法って真剣に考えられないものでしょう。
それに、効き目を実感する「風邪薬」も実際にそれを治しているのは、
ひたすら「自分の体力、気力」だったりします。
風邪薬は、風邪で起こる症状を抑える効果しかないとも云われてますから。

「被り対策」もある意味、風邪対策と同じなのかも知れません。

風邪かな?と思っても、気力で跳ね返せる場合もあり、

予防策として、「被りにくい」体力をつけるって手法もあり、

それでも、被ったら、なるべく早く治るように被りのもとを
デトックスする。

風邪をひきやすい体質をいくら嘆いても、風邪をひくように、
被りやすい体質もいくら嘆いても、被らないようにはならない・・・

そればかりか!
被っている感情って、そうしたマイナス思考そのものだったりしますから。

ポジティブな考え方をする人の頭の中って、
同じことが起こってもぜんぜんめげません(あはは)
調子のいい時の、私の妹は、まさにそんな感じ!
「人間万事塞翁が馬だもんね~」と笑い飛ばします。

「交通違反でつかまっても、つかまってそこで止まらなかったら、
ひょっとしてその先で事故にあってたかも知れないしね~」と云った具合。

だんな様は、「ああ、交通安全のお守りってそんな仕組みになってる」と(笑)

お守りを持つと、すべてがスムーズに進むとばかり思っている人も多いですが、
「足止めをくらう」のも、「お守り」の役目だそうで。

本当に、モノは考え様・・・。
とすれば、被りを自分で作り出している時って、
絶対ある・・・と再確認してしまうのでした・・・(苦笑)

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2010.03/05(Fri)

【だんな様は霊能力者】 久しぶりに被りの話題(3) 

被りの話題を書いていますが、同じようなことで
悩まれている方が多いのね~と、コメントやメールを頂いて実感しています。

残念ながら、被る体質(と云って良いと思いますが)の人の仕様には、
社会は出来ていないようで(涙)・・・。

それに対する社会的な対処が全くできていない。
(あはは、どこかで聞いた響きの表現です)
「これ一枚で、被り撃退!」なんてスーツが出来たら・・・。
とか、妄想してみますが、
やった!被らなくなった!
・・・そして、人の気持ちがわからなくなった・・・
なんて、どう考えても、現実的ではありませんね(涙)

それに・・・
もしも、そんなスーツが出来たとしても、
たぶんですが、被るときは被ります!!!!

人から何かが飛んできた!被った!体調が悪くなった!
こんなサイクルを繰り返していると、見えなくなるのは自分のこと。

「自分で作りだして、自分で大きくして、自分で被ってるね」
と、だんな様。
これをして、「自分被り」とここでは呼んでいます。

物事なんて自分の思い通りにいかないことだってありますよね。
そんな時に、じゃあこれは?こうしてみようかな?
なんて、いつも考えられれば良いのですが、
「なんで・・・」
「どうして・・・」
こんなモードになったら要注意!
自分被りの種の出来上がりです。

そして、自分被りをしたまま、毎日をそのレンズを通して見ると、
すべてがとても不公平に見えてきます。
確かに、そう思うだけの「理由」=「種」はあっても、
それをどんどん大きくしていくのは、自分の妄想の世界。
これまた、自分だけの世界で大きくしようと思えば、どれだけでも大きくできます。

その上、同じような空気は同じような空気を呼び込みますので、
本当に、周りから飛んできたりしやすくもなり・・・。

心が固まり、心が固まると、体が固まり、体が固まると・・・と、
ああ、まさに、負のスパイラルですよね。

「あれ?おかしい・・・被ったかな?」と思った瞬間に、
(って、こうわかるのがまた難しかったりするのですが・笑)
まずは、
「本当に起こっていること」を一度客観的に見てみましょう。

同じことが、他の誰かに起こったら、
同じことが、気分の乗っている自分に起こったら、
・・・普通は、どんな風に感じるかな?なんていうのも
一つの判断の仕方かも知れません。

ここでのポイントは、
「自分で作り出している部分がないか」
その境目を探し出すのではなくて、
「これ以上、大きくしない」という冷静な気持ちに戻るってこと。

いや~、被っているときって、ヘタすると人が私に被るわ~と、
こんな時こそ、「被り遮断スーツ」が必要だ!
やっぱり、誰か発明してくれないものかな~と思ってます(笑)

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2010.03/03(Wed)

【だんな様は霊能力者】 久しぶりに被りの話題(2) 

今日も行ってきました!空手の練習。

う~~ん、本当に空手は『被り』が落ちます!

被る原因は、嫌な事を忘れられないってこと。
空手の練習の間に、「あれは・・・」なんて関係ないことを
考えていたら、しっかり、どこかから蹴りとか突きがとんできます(苦笑)

早く言うと、「終わったことを考えている余裕なし」ってところです。
一瞬忘れることができると、意識がそのことから「切れる」ので、
すっかり、被りが落ちてしまうのです。

そして、もう一つは・・・
「やっている間に、気のレベルが上がるんだ」

気のレベルが上がると、自然と被りは落ちるものらしく、
まあ、強いて言えば、雑音はもっと大きい音でかき消してしまう!
ということでしょう。

被りの症状が出た時には、体が動かせなくなったりします。
その気力さえ奪われる・・・と言ったほうが言いと思います。

ですから、いや、だからこそ、我が家では、
『ちょっと熱っぽい。だから、道場に行く!』
『ちょっとだるい。だから、道場に行く!』
『調子がなんとなく悪い。だから、道場に行く!』
が合言葉(笑)
道場、病欠はなし!ということですね。

・・・ただし、気があがった体は、いったん
ぎしぎしいいます(苦笑)
体という入れ物に、気が一気に増えるのですから、
これまた当然ですが、被った気持ち悪さに比べたら、
ウェルカムってところでしょうか。

・・・というわけで、被りを消すには、
「忘れるのが一番」
でも「忘れよう、忘れよう」とすることさえ、
「忘れられない」につながっているとすれば、

ずばり!忘れるには、それより大きい影響のある「何か」を
自分流に持つ!が解決法の一つです。

空手もよし、
大笑いするもよし、
ハッピーな気持ちになる映画を観るもよし、

ちょっとした被りなら、
辛いものや塩辛いものですっきりしたりします。

お試しあれ!

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2010.03/02(Tue)

【だんな様は霊能力者】 久しぶりに被りの話題 

感情のエネルギーに敏感な人たちは、
誰かがその場でまったく関係のないことでストレスを感じて
そこに座っているだけで、『被ったり』します。

被りって何度もこのブログで出てくる言葉ですが、
相手の気持ちや症状に同調してしまうこと。

この影響を受けるときって、あんまり距離は関係なかったりします。

最近の私の被りの傾向は、これから行くところ、これから起こることに
同調してしまう・・・(涙)が特徴のようで・・・。

突然、「ああ、なんだかぐらぐらするな・・・」と思っていると、
どこからか悩んだ相談のメールや電話がだんな様の元に・・・なんて
ことも珍しくありません。

「相談をしよう」と思った瞬間に、電話の前に気持ちがつながってしまうのでしょう。

昨日もここでは、「白熱した(爆笑)」月例会があり、
沢山の人が参加してくださいました。

その中のトピックの一つが、私が「だんな様は霊能力者」の本に書いた、
「発動型」と「受動型」の霊能力者の感覚の違い・・・。

「本来、どちらも持っているんだけどね・・・」とだんな様。

でも、意識しやすく、どうにかしなくては状態になるのは、
圧倒的に受動型の場合でしょう。
人から受け取った、ネガティブな感情は、知らないうちに自分の
体調に大きく影響したりします。

被る度に思うのは、ただ一緒に悩んで苦しくなっても何の役にも立たん!
その苦しみがわかるだけに、今度はどうにかしてあげなくちゃモードに
ぶっとんでしまうこともしばしばだったりします(苦笑)
これって、本人がどうにかしなきゃって思っていれば、
まだ良いのですが、そこまで思っていないときには、
「どうにかしてあげなくちゃモード」って、相手にとっては、
迷惑だったりします(爆笑)

それに、「ほんとに責任を持って、そうしてあげれるかどうか
よく考えないとね・・・」とも。

相手との心理的な距離感が近くなってしまうんですね。

まるで自分のことのように感じ、
まるで自分のことのように解決しようとしてしまうのでしょう。

さて、さて、そんな風に思える場合ばかりではありません。
影響を受けたものに対して、「嫌だ~」と拒否感を持つ。

嫌だ、嫌だと思っているのも、これまた「心理的な距離が近い」と、
いや~、気がつきにくいものです。

「どうすれば?」という質問に、
ひとこと、
「忘れなさい」とだんな様。

嫌だ・・・嫌いだ・・・思うのは自由なのですが、
それで、自分の体調が優れないとなると、話は別です。

しかし、この「忘れる」のが一苦労。

でも、好きであろうと、嫌いであろうと、
「意識している限りは、影響を受けるよ」と。

さて、さて、二者択一です。
「嫌い」と思い続けるか、「忘れる」のか。
二つに一つしか、ありません!!!!

・・・ああ、悩んでいるときは究極の選択にさえ思えたりしますよね(笑)

・・・続く・・・

Adept Mentor 島津相談室

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