FC2ブログ

2010.12/19(Sun)

【だんな様は霊能力者】 選択は正しかったのかしら? 

右か左か迷う。
もっとたくさん選択肢があれば、
悩まないかと言えば、それも違うんですよね。
ちゃんとそれなりに「どれにしようか」
「どれが正しんだろう?」とか、悩んだりします。

思わぬことから、そんな渦中に巻き込まれると、
パニックになってしまって、
そんな頭で考えると、ますます
どれが正しい選択かって、混乱。

「頭が止まるんだよね・・・」と、だんな様が
苦笑します。
実際は、自分でもいろいろ考えているつもり。
でも、ぐるぐる、考えているようで、
まったくどれが正しいか・・・と
決められないのですね。

そんな人たちの姿をそばで見ながら、
「これが正しかった」という選択って、
選択した時に決まるのではなく、
選択した「後」に決まるのかな~と、
思うようになりました。

たとえば、Aという学校に行くべきか、
やめておくべきか、
はたまた、行かないなら、Bにするか。

こちらの方がベターだっていうのはあるでしょう。
けれども、「ああ、これでよかった」と
思えるためには、
「そう選択した」のが正しかった・・・というより、
「この選択が正しかった」と思える毎日を過ごしたかどうか。
つまりは、「正しい選択」は、
選択した後に出来上がるのかしら?と、
ある問題を、今、まさに乗り越えようとされている方を見て
ふと思ったのです。

「だから、アドバイスをしても、最後に選ぶのは本人でなくてはね」
と、だんな様がいつも言うのかな?と。

究極、どの学校に行っても勉強はしなくてはならないし、
先生とも友達とも、うまくやっていかなくてはならないのですから、
苦労と思えば苦労もあるし、
試練はどこにでもあるわけで。

その種類や、タイミングが今の誰かには合っている。
そんなアドバイスは、いくらでもできる。
でも、本当にそれを「やって行く」のは、
それを決めて、歩み始めた、その本人、
そして、その本人の心の中の問題です。

「もし、こうだったら?」
「もし、今の選択肢をとらなかったら?」
選択肢があったら(ほとんどなくても・笑)
人は、必ず、一度とならず思うもの。

それは、選択が間違っていた・・・って場合も確かにあるでしょうけど、
それより、たとえ選択が間違えでなくても、
選択した後の自分に何かが足りなかったのかも知れないのですから。

「だから、自分が選んだという気持ちが必要」
どの学校に行くか、子供に最後は選ばせなさいという
だんな様のアドバイスの理由でもあるのでしょう。

自分で選んだのだから、頑張れる・・・はず。
頑張らなくては・・・。
こんな気持ちが、選択を「正しいもの」に作りあげていくのですね。

これって、子供だけのことじゃありませんよね。
自分のしている小さな、大きな選択。
すべて、同じことが言えるのかも知れません。

「だから、妄想は、妄想にしか過ぎない!」という
手厳しいだんな様の言葉の意味も、ああそうか!と思ったりします。

こうしてたら、こうなったに違いないのにな~。
なんて、妄想には、このプロセスがほとんど抜け落ちてるのが
普通ですもの。

さて、今、この瞬間も、過去にした自分の「選択」
それが正しかったか、どうだったかを作り上げているかと思うと、
あら、気が抜けないわ~と思ってしまいました。

後悔の種は、「今」後悔にしているのかもしれません。

お問い合わせはこちらへ(タグをクリック)
バーナー3
スポンサーサイト



EDIT  |  03:14 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
 | BLOGTOP |