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2010.03/16(Tue)

【だんな様は霊能力者】 奉仕の心 

奉仕の心・・・なんて書くと、とても堅苦しくて、
心理的にも一歩引いてしまいそうな響きさえします。

「修行の最初は、全部、奉仕の心を持つためのものだったよ」

トイレ掃除に始まり、広い、広い場所の掃除だけでも、
気が遠くなりそうな作業です。

その上、きれいになって当たり前なわけですから、
途中でため息の一つや二つじゃ足りなさそう。

誰かのために自分が出来ることを精一杯やる。

こんな単純で、いつでもできそうな事を
実際に心からやるというのは、やってみるとわかるそうですが、
なかなか簡単には心に染みて行かないそうで・・・。

初めは、「何で?」が頭に浮かぶと。

どうしてこんな事やらなくちゃいけないの?
修行じゃなくても、そんなこなさなくてはならない作業が
目の前に降ってくることってあります。

教師時代にも、実際に教える他に、いわゆる「雑用」は沢山ありました。
ひょっとしたら、雑用の方が多かったかも?と思うぐらい。

目の前に高く積まれたプリントを一つ一つ綴じながら、
「なんで・・・」と思わなくもなく(苦笑)
単純作業の苦手な私にとっては、かなり精神的にも修行でした。
まあ、この作業が奉仕の心だったかどうかは別にして、
目の前にある仕事を進んでやるという姿勢が身に付くまで、
仕事を始めてからしばらくかかりましたし、
それまでは、やっぱり「何のために・・・」と、
どこかで思っていた気がします。

時が経って、その頃の事は、「誰かのために」
究極、やってもやらなくても良いようなこと。
それが、自分の身についていると感じます。

「・・・ね、やったらわかるだろ?」
と、だんな様。

損得抜きの世界には、やった人にしかわからない、
これまた、誰かがあなたにやってくれる損得抜きの世界が
広がっているのです。

こんな話は、よく道徳の時間に誰かのエピソードや
偉人の話として聞いたり、話し合いの授業なんてあったりしますが、
こればかりは、本当に自分でやってみないとわかりません。

「誰かを本当にもてないしたい。
誰かを本当に気持ちよい状態で迎えたい」

それが修行の原点だとも。

とすれば、日常の中にも沢山、沢山、修行は転がっている・・・。

こんな風にやってあげたら、こんな風にやってもらえるだろう。
そんなある種の計算は、一つの行動から、一つのモノしか生み出す程度(苦笑)

いくら相手のためと思っていても、それに少しでも計算が入ると、
ちゃんと答えは、計算どおりになってしまいます。

計算のないことには、計算できない、想定外の世界が広がっているのでしょうね。

Adept Mentor 島津相談室

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