2013.11/03(Sun)

【だんな様は霊能力者】 うっかり成仏 

今日のここのトピックは、ずばり「うっかり成仏」
とか書くと、少々不謹慎な響きもしますが、

「いや、行くべきところに行った、それだけのこと」
とだんな様(笑)

先日から、自己成仏法とか堅苦しい名前など付けて(あはは)
色々、観察していますが、そもそも成仏しなければとこだわる気持ちが、
成仏を妨げる!!!!って可能性は大です!(苦笑)

・・・・・・・・・
今日は、もう何回もここでご先祖の特別供養をなさっている方の供養でした。
日ごろは、こうした時にはっきり出るのですが、
なんと!だんな様のお弟子さんが勢ぞろい。
記憶では・・・全員揃っての特別供養は初めてだと思います。

そんな供養を始めた途端に、私の耳に、
「あたまが痛い!」と声が聞こえ、でもほとんど次の瞬間に、
その頭が痛い感覚も含めて、スッとなくなりました。
まるで、お経をふっと耳にしたら、そのままふっと成仏した、
そう実感したのです。

で、そんな話を供養の後にしていたら、このうっかり成仏、
なかなかいいんじゃない~~~?って話になりました。

そういえば、エジンバラのスコットランドのオーサーズシートに
「きれいな街だ」と座って成仏できなかったという彼女の
成仏の瞬間も、ふっとそこから気が逸れた時だったと(笑)

どんな思いも、それが悔しいとか去りがたいとか、
所謂、ネガティブとされている思いであろうと
そうでなかろうと、何かにこだわるというのは、
やっぱり行くべきところへの道すじが見えなくなることに
繋がっているんですね~。

まあ、そう考えると、人には(人は死んでも人ですから)
好みがありますから、行くべきところと言われても
行く気がなければ行かなくても良いといえば良い。

ただ、苦しんでいるご先祖の場合、生きていた時の
「体の持っていた痛みや苦しみ」がそのまま残っていることが。

「もう体はないのにね」(←私)

「そう、そこを伝えるのもひとつの供養」(←だんな様)

こうして意識して、伝え、説得しないといけない場合もありますが、
ほとんどの場合、お経を聞いている間に「うっかり成仏」されます。

つまりは、自然な流れに、自然に乗る。
お経にはそんな流れを作り出す力があるんですね。

さて、さて、実はここのところ、この「特別供養」が立て込んであります。
明日も、また別のお家の特別供養です。
ご自分でも千日の行を終えられ、始めた時とは比べ物にならないほど、
スッキリされたご先祖様方ですが、その遺伝子が体の中にある
ご本人も、ここまで良く頑張られたと思います。

ひとつの段階が終わると、次がやってくるのは、ものごとの理。
さあ、次の段階に行かれるお手伝い。
明日も続きます。

CIMG2313
CIMG2313 posted by (C)kumisensei
こんな美しい夕日の沈む西にあると言う西方浄土。
写真を見ていると、自分がうっかり成仏しそう・・・。

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