2014.10/19(Sun)

【だんな様は霊能力者】 癒しの場所 

先日、ミッションで高野山に行って以来、母は高野山が大好きになった様子。
「また、行きたいわ~」と、繰り返しています。
ま、台風で、あれだけ人が少なく、落ち着いた場所なら、
誰でもファンになりそうなもの。

前回、私が受付の人と間違えた「空海」さん。
今回は、間違えないようにと、少し緊張して奥の院の前に立つと・・・
ああ、と言って、履物を履いて、すぐに出てこられて、
気が付くと私のとなりに・・・立ってらっしゃる・・・と思いました。

私が奥の院の前に立って、さあ、ご挨拶を!と思った時には、
実は、私たちの前にお参りを始めた人たちが10人ほど、一生懸命、般若心経を繰り返して唱え中。
あの・・・そっち向いてお経を唱えても、ご本人は、後ろにいらっしゃいますけど・・・(苦笑)

と、ひとしきり、般若心経を唱えたグループの方々は、それを知ってか知らずか、さっさと退散され、
またしず~~かな場所になりました。
(他には人がまばらでほとんどいない・・・台風ですものね)

高野山は開山1200年を来年に控えて、色々なイベントが繰り広げられているよう。

けど、感覚的ですが、空海さんご本人は、それはいわゆる「人間」に任せている、
って感じでした。
きっと、あの場所に立っただけで、祈りが通じるとか、通じないとか
そんなことは関係なしに、「ああ、ここに来れてよかった」という空気さえ
流れていれば、それ以外はどうでも良いこと・・・と思われていると。
それが、人間にとっての聖地の条件なのでしょうね。
 
何しろ、生きていらしたころの空海さんから考えれば、
あの地に留まっていらっしゃるとしても、
同時に、どんどん先に進まれているはずですから、
人間の営みに、いちいち、目くじらを立てるお暇もないでしょう(苦笑)

「今の時代、いわゆる聖地ってないんだよ」と、だんな様。
だから、聖地は自分の心の中に作り上げるものだと。

人によって、その聖地のイメージも、その深さも、広がりも、それぞれ。
だからこそ、人間の思う、人間らしい『聖地』である必要もあるのね~と思いました。

きっと、奥の院で、空海さんが後ろにいる状態で、
一生懸命、般若心経を唱えていた人たちも、
そのことで、心のどこかが救われていたんだと思います。
まさに、天は自ら助けるものを助ける。

本当のところ、「神様」や「仏様」に祈っていること、祈願していることのほとんどは、
自分で叶えているのかもしれません。
っていうか、自分で叶えるぐらいの気持ちや行動力がなければ、
祈願は通らないものであったりするので、神や仏の力があったか、なかったかは、
どちらとも言えず、微妙。
ただ・・・祈る本人の、本気具合はいつも試されていると思った方がよさそう。

高野山に行って、心が洗われたわ~と言っている母の言葉を聞いて、
祈願をしたり、お願いごとをしに行ったわけではないのですが、
高野山など「聖地」を保つ意味が少し、分かったような気がしました。
神や仏レベルの浄化された場所であっても、なくても、
いろんな人の心の平穏に触れられる場所。

実は、聖地はこうしたお願いことをすることも多いので、
経験があるかもしれませんが、被ったりもしやすいのです。
悩み事があるからこそ、遠い聖地まで、必死の思いでやってくる人もいるのですから。

「聖地に行って、どこに焦点を当て、祈れるかってことかな」
と、だんな様が言うように、聖地はやっぱり誰もが足を運びたくなる、
運んだだけで、救われた気持ちになる、ってのが第一条件なのかもしれません。

CIMG2194
CIMG2194 posted by (C)kumisensei
聖地ではないですが、今日、私が癒された、空の雲!!!
わずか5分ぐらいで、すっかり消えてしまいました・・・。

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