2016.08/21(Sun)

【だんな様は霊能力者】 ジャンヌダルクの映画 

ジャンヌダルクの映画を観ました。
神のお告げを聞き、神の使者だと自ら確信してフランス軍を率いることになるのですが、
その中で、本当に「神のお告げ」なのか、本当に「神の使者」なのか、
その徴を見せよという場面が繰り広げられます。

人が何らかの徴を求めて確信を得たいものですが、
神の使者であるという彼女の言葉が、その通りに実現するときもあり、
若干の違いがありながらもお告げ通りに進むこともあり、
はたまた、周りの人間が疑いを持つようなこともあり、
本当の使者であるかどうかを彼女自信が自分に問いかけることもあり。
なかなか考えさせられる映画でした。

先日、翻訳出版した、「アフターライフ」の著者が出しているニュースレターにも、
神の世界と一つになったビリーからのメッセージが伝わってくるからといって、
著者自身の毎日がすべて思い通りにスムーズに進むわけではない、ということが
書かれていて、印象的でした。

人は、迷うと、どうしてもアドバイスを自分の外に求め、
例えば神に言葉を戴いたとしても、言葉自体に含まれる神の意志を
正確に受け取るだけの器が必ずしも準備で来ていないということもあります。

ただ、ジャンヌダルクの映画の場合は、「神のお告げ」に民衆が希望を見出し、
それが実現した後の展開は、はたまた民衆の予想を超えた、
政治的な要因が含まれた展開を迎えます。
ヒーローやヒロインと言われている人達も、その人生を生きている間には、
きっと誰より「告げられたこと」を実行しなくてはという気持ちに刈られ、
誰よりも、神の真意を問いながら生き抜いたに違いありません。

神のお告げ通りに生きた先に、その使者に幸せな人生が約束されているとは
限らないということもあるのでしょう。

幸せで充実した生き方をするために、神の言葉を戴くと、
言霊ゆえに、大変なプレッシャーもありがたさも確かに感じます。
その上で、いただいた言葉をしっかり自分の中で消化し、
「これでよし」と心に決めていくプロセスが大事なのでしょう。

例えお告げがあったとして、その通りに生きたとしても、
それはすべて自分の選択なのです。
その通りにならなかった部分は、解釈の違いがあったり、
他の要素が入ったりすることもあるのでしょうが、
自分の目指すところを忘れなければ、途中のことは、
終わってみれば、必要な道筋だったりするのですから。

神と神からの言葉の意味を、今一度、捉え直すのに
とてもためになる映画でしたが、神の言葉の解釈は、
一生かかって、生きて行きながら体得していくものなのでしょうね。

メンター


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