2017.03/18(Sat)

【だんな様は霊能力者】 慣れ 

慣れ、とは怖いもので、自分にとっていつの間にか当たり前になってしまったことは、
あるのが当たり前になってしまうものです。

まあ、慣れていってよいこともありますが、
そうじゃないことというのは、常に意識を高く持っておかないと、
知らない間に、当たり前という落とし穴にはまってしまいます。

小さいころから、霊が視えている人達に取っては、
視えるのが当たり前。
もちろん、視えることが原因の追究や、解決につながることもあるので、
全部いけないとは思いませんが、視えなくても解決できる力を
自分につけることの方が大事。
・・・という当たり前のことが、意識の低い当たり前で視えなくなてしまいがち。

見知らぬ霊が目に入ったら、自分にやってあげられることはないと、
心理的距離をとりましょう。
やってあげられることがありそうで、実はないことの方がとても多いのです。
一般的に言えば、いくら苦しんでいる、迷っている霊がいても、
ちゃんと依頼されなければ、行くべき場所へ連れて行ってあげることもできません。
できる、と、思い込んでむやみに接触してしまうと、
自分の波動が乱れて、自分のとっての「当たり前」の波動がわからなくなってしまうのがオチ。

お彼岸のこの時期。
いつもより、霊の存在を感じることが少なくありません。
夢で見たり、ふと気になったり。
見知らぬ人出なく、自分の先祖や有縁の存在だと感じたら、
「助ける」のに話を聞くといったような手法では、
なかなかうまく行きません。
生きている人間の話をいくら聞いてあげても、
本人の頭の中が堂々巡りしていると、解決に向かいにくいのと似ています。
お彼岸の時期、気になる先祖が居たとしたら、
居るのが当たり前、ではなく、ちゃんと供養の心を届けましょう。
何が具体的に訴えていることがあっても、
まっすぐな気持ちで供養の心を届けるだけで、
そのほとんどは解決に向けて動き出すはずなのです。

先祖の場合、自分と波動が似ていることが多いので、
側にいても、あまり違和感がなく、
それでも生きている人間とそうでない存在が干渉しあうと、
お互いにとって、良い結果に結びつくことは少なくのです。

昨日からお彼岸に入りましたが、まっすぐな供養の気持ちが
一番、届きやすい時期ですから、目を背けることなく、
純粋な祈りと光を届ける。
それだけに集中しましょう。
それで、霊が視える、姿が視えるようなら・・・
供養が足りないということ、単純なことです。

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