2007.04/30(Mon)
他人の評価
他人の評価は気になるもの。
当然だわ〜。
「どうすれば親から愛情を受けられるか」って一生懸命感じようとする子供の姿を見てもそう思う。
生きる為に必要な事・・・本能的な感覚だろう。
「親から愛されている事を本能的に知っている子は精神が安定している」
私が教師時代に実感した事でもある。
その愛情をどこかで「確信」できないと、親の気をひくために色んな事をしたり、精神が安定していないのだから、勉強どころではなかったりするものだ。
逆に安定している子供は多少の失敗をしても、めげないで次にチャレンジする。
今の失敗だけで自分が愛されなくなるなんて考えもしないから。
その愛情の示し方って親にとっては、難しく感じるもの。
どうしてもその子供の出来る事より「出来ない事」に目が行ってしまうから。
「99%の子供は誉めないと伸びないんだよな〜」と、旦那様。
「そうでないと、伸びたとしても、専門バカになったり、人間性が欠落してしまったりという事が起こるんだ」
やがて色んな社会に出ると、その「社会」から評価されることになる訳で。
その時、ゆがんで伸びてしまった影響が出てきたりする。
自分で「こうありたい」「こうであるはずだ」という評価と他人の評価がずれるとストレスを感じるのも当たり前だろう。
何より、本人が言葉に出さなくてもこのずれは辛い!
頑張って努力する→誉められる(認められる)→次のステップへの意欲
という公式。
この公式でどう育って、どういう経験をしてきたかって、知らない内に一人ひとりの「性格」を作り上げてる訳で。
この公式の経験が少ない人って社会の中で生き辛いと感じてしまうだろう。
実は・・・霊感を持った人にも、人の評価と自分の評価がとてもかけ離れてしまうことが多い。
「頑張って努力する→誉められない」って経験も当然あるだろう。
ところが、人にない能力を持っているから、
「頑張って努力もしていない、自分にとっては普通の事→努力した事より評価される」って事が頻繁に起きる。
大して(失礼・笑)努力をしていない事でも「凄いね、どうしてそんな事がわかるの?」とか「どうして、そんな事が見えるの?」なんて言われている内に・・・
頭の中が混乱(苦笑)
「時に自分が偉いと思い込んだり、そうかと思えば普通の事が評価されないでいらいらしたりするんだ」
こうして、他人の評価と自分の評価がずれてしまっている人には共通した次の段階がくる。
「自分を守ろうとして、無口になったり、目立たない様にしたり、時には引きこもったり、或いは転々と職や住居を変えたり、逆に思い切り突っ張って強がったりするんだよね・・それが自分を守り、世間と上手くやる為の護身術なんだ」
だけど、それだけではないらしい。
「心のどこかで、『これだけ私には力があるのに何で評価されないんだ』と思っているんだよ」
だからなのか、こうした評価のずれた人は、我慢して合わせてどこかで働いてもすぐにトラブルが起こったりしやすい、いずれ我慢の限界を超えるような事が起こったりする。
「霊感を持ってしまったり、持って生れた人の宿命だね〜(苦笑)
目立たないようにしていても、逆に目立っていても、どちらにしても能力のない人から見ると、変な人だし、目障りな奴だし、時に憧れの孤高だったりするからね」と苦笑する旦那様。
「だけど、不満がどうしても出てきてしまうというのも分かる気もするわ」とそんな人達の苦労を思うと大変だろうな〜なんて同情したりして。
「不満を持っておしまい!
それでは知らない内に自分で自分の能力を過小評価してるって事でもあるんだよ」
と旦那様。
自分で自分の能力を過小評価したりだけどよく聞いてみると、「自分には人に伝える手段がない」「事業力がない」など、他の部分で過小評価しているのだ。
自分自身に対して、過大評価と過小評価を両方やっている・・・ああ、これじゃあ混乱するよ〜〜。
「世間からの評価で自己確立が出来ないから、修行や武道などを何でも良い。
それを通じて自己を見つめ、検証する事が絶対に必要」
う・・・修行しかないのか・・・。
「それをしないままに生きている能力者は、常に不安定でエキセントリックであり、いつも人間関係で悩まされるからね」
う・・・空手を始めるしかないのか・・・(苦笑)
先日、とうとう、あるたくらみ(爆笑)で、空手を始めてしまった私。
まあ、それが遠くて近い「自己確立」ならやってみる価値はある!!
「霊能者は修行しろ!! これは鉄則」
耳が痛いけど、これが事実なのも実は本人が一番気が付いているんじゃない?
って、自分を振り返ってもそう思う(あはは)
当然だわ〜。
「どうすれば親から愛情を受けられるか」って一生懸命感じようとする子供の姿を見てもそう思う。
生きる為に必要な事・・・本能的な感覚だろう。
「親から愛されている事を本能的に知っている子は精神が安定している」
私が教師時代に実感した事でもある。
その愛情をどこかで「確信」できないと、親の気をひくために色んな事をしたり、精神が安定していないのだから、勉強どころではなかったりするものだ。
逆に安定している子供は多少の失敗をしても、めげないで次にチャレンジする。
今の失敗だけで自分が愛されなくなるなんて考えもしないから。
その愛情の示し方って親にとっては、難しく感じるもの。
どうしてもその子供の出来る事より「出来ない事」に目が行ってしまうから。
「99%の子供は誉めないと伸びないんだよな〜」と、旦那様。
「そうでないと、伸びたとしても、専門バカになったり、人間性が欠落してしまったりという事が起こるんだ」
やがて色んな社会に出ると、その「社会」から評価されることになる訳で。
その時、ゆがんで伸びてしまった影響が出てきたりする。
自分で「こうありたい」「こうであるはずだ」という評価と他人の評価がずれるとストレスを感じるのも当たり前だろう。
何より、本人が言葉に出さなくてもこのずれは辛い!
頑張って努力する→誉められる(認められる)→次のステップへの意欲
という公式。
この公式でどう育って、どういう経験をしてきたかって、知らない内に一人ひとりの「性格」を作り上げてる訳で。
この公式の経験が少ない人って社会の中で生き辛いと感じてしまうだろう。
実は・・・霊感を持った人にも、人の評価と自分の評価がとてもかけ離れてしまうことが多い。
「頑張って努力する→誉められない」って経験も当然あるだろう。
ところが、人にない能力を持っているから、
「頑張って努力もしていない、自分にとっては普通の事→努力した事より評価される」って事が頻繁に起きる。
大して(失礼・笑)努力をしていない事でも「凄いね、どうしてそんな事がわかるの?」とか「どうして、そんな事が見えるの?」なんて言われている内に・・・
頭の中が混乱(苦笑)
「時に自分が偉いと思い込んだり、そうかと思えば普通の事が評価されないでいらいらしたりするんだ」
こうして、他人の評価と自分の評価がずれてしまっている人には共通した次の段階がくる。
「自分を守ろうとして、無口になったり、目立たない様にしたり、時には引きこもったり、或いは転々と職や住居を変えたり、逆に思い切り突っ張って強がったりするんだよね・・それが自分を守り、世間と上手くやる為の護身術なんだ」
だけど、それだけではないらしい。
「心のどこかで、『これだけ私には力があるのに何で評価されないんだ』と思っているんだよ」
だからなのか、こうした評価のずれた人は、我慢して合わせてどこかで働いてもすぐにトラブルが起こったりしやすい、いずれ我慢の限界を超えるような事が起こったりする。
「霊感を持ってしまったり、持って生れた人の宿命だね〜(苦笑)
目立たないようにしていても、逆に目立っていても、どちらにしても能力のない人から見ると、変な人だし、目障りな奴だし、時に憧れの孤高だったりするからね」と苦笑する旦那様。
「だけど、不満がどうしても出てきてしまうというのも分かる気もするわ」とそんな人達の苦労を思うと大変だろうな〜なんて同情したりして。
「不満を持っておしまい!
それでは知らない内に自分で自分の能力を過小評価してるって事でもあるんだよ」
と旦那様。
自分で自分の能力を過小評価したりだけどよく聞いてみると、「自分には人に伝える手段がない」「事業力がない」など、他の部分で過小評価しているのだ。
自分自身に対して、過大評価と過小評価を両方やっている・・・ああ、これじゃあ混乱するよ〜〜。
「世間からの評価で自己確立が出来ないから、修行や武道などを何でも良い。
それを通じて自己を見つめ、検証する事が絶対に必要」
う・・・修行しかないのか・・・。
「それをしないままに生きている能力者は、常に不安定でエキセントリックであり、いつも人間関係で悩まされるからね」
う・・・空手を始めるしかないのか・・・(苦笑)
先日、とうとう、あるたくらみ(爆笑)で、空手を始めてしまった私。
まあ、それが遠くて近い「自己確立」ならやってみる価値はある!!
「霊能者は修行しろ!! これは鉄則」
耳が痛いけど、これが事実なのも実は本人が一番気が付いているんじゃない?
って、自分を振り返ってもそう思う(あはは)
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無気力状態は「今は」脱出してるんだけど。旦那様は霊能者の記事↓を読んでダーッと涙が。実は・・・霊感を持った人にも、人の評価と自分の評価がとてもかけ離れてしまうことが多い。 (中略)ところが、人にない能
2007/05/02(水) 13:23:19 | necox beta2.0
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