fc2ブログ

2007.10/23(Tue)

話をして・・・(1) 

昨日のブログ、「本人に聞けばいい」で思い出した。


昨日のブログの補足みたいになるけど、
旦那様や、そういう能力のある人が呼び出したのは、
個人的な感情で『話』を聞いたのではない。

「本当の所、この研究では何があったのか?」
「歴史上、それはどんな意味があったのか?」
「今の歴史で捉えられてる事実」と照らし合わせる・・・

時々、似たような相談がある。
もう、話ができない人、
例えば、「自分にとって、大切な、亡くなってしまった人と話ができますか?」

そうだよな・・・。
「何か心残りがある場合、そこから前に進めないのはよくわかるけど・・・」
と、旦那様。

ちょっと前、若い頃に別れた相手が70歳近くなった今も気になると言う人がいた。
「お墓参りに行って、その前で泣いてしまうんです」

「その方とは?」と、旦那様。

「縁がなくて、結婚できなかったのです
お互い、好きだったんですけど・・・」

「本当に、相手の事を思うのであれば、引きとめないであげてくださいね」

亡くなった人は、亡くなった人が行くべき場所がある。
それなのに、この世に未練があったり、心配があったり、
引き止める人が居たりすると、なかなかそこに行けないというのだ。

「ちゃんと、行くべき場所に行けば、その方の次があるんです」

相手を本当に思うのなら・・・
相手への思いって、本当は時に自分の事だけ考えてしまっている事もあるかもな~。

時と場合によっては、思いを残した両方が前に進めないって事もある。
「話をした事で、お互いの気持ちが解消すればいい。
そんな時は、必要だと思えば、ちゃんと伝えるけどね」

こうやって話をして、余計に相手を忘れなれなくなってしまった人も
いるんじゃないかな~なんて思ったりする。
相手を憎むって結果になってしまった話もいつか聞いた事がある。
「私はこれだけ、思って生きているのに・・・」と、
思いが募れば、こう思ってしまわないとも限らない。

生きている人間は、次の経験をして、自分の経験を塗り替える事もできる
だろうけど、体のない場合、それもできない。

「だから、場合によるよ。
こちらの都合だけで、呼び出す訳には行かないからね」

だから、話を伝えるかどうかは、その内容によるだろう・・・。
何かをして、どうなるかって言う結果って、心が囚われている時には、
なかなか見えないものだから。

旦那様は、はっきりとした「目的」がないと、基本的には伝える事はしないと言う。

「本当に思う相手」に何が出来るかって、難しいと思うな。

相手が生きている人でも、
すでに亡くなった人でも、
心から、「幸せでいてくれれば、それだけでいい」って思えるといいなと思う。
スポンサーサイト



EDIT  |  02:58 |  未分類  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

Comment

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示
 

Tracback

この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック

 | BLOGTOP |